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2021-12

12月を走る・5

【12月を走る・5】本年も明日までとなりましたが、今年は何と言っても1年延期された東京オリパラを無事に開催できたことが何よりでした。あらためて、開催にご尽力いただいた関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。

さて、今年も明日までの日程で、強化合宿を千葉県富津市富津公園において実施しております。そして、今年も例年同様、箱根駅伝に出場する各大学が最後の調整を実施している姿が見られました。

その調整の内容も、おおむねどの大学も同じような距離を同じようなペースで走っており、どの大学も例年どおりに見えました。したがって、走っている姿を拝見している限りは、どの大学も仕上がりは順調に見えました……。

しかし、同じような距離を同じようなペースで走っていますが、その走らせ方は大学ごとに少しずつ違っています。最もよく拝見するパターンとしては、数十秒間隔でスタートさせていく走り方です。駅伝を意識した調整としては、最もスタンダードな方法といえるかもしれません。

また、同じような単独走になりますが、時間を完全に区切り、1人ずつ走らせる調整方法もあります。例として、朝の8時から1時間ごとに1人ずつ走る方式です。もちろん、タスキを渡すことはしませんが、前後が全くいない完全な単独走になります。

逆に、チームによっては、数名の小集団で走っている大学もありました。もちろん、これらの調整方法については、どれが正しいとかの判断はできませんが、各大学の指揮官(監督)の洞察力(経験とデータに裏打ちされた「直観力と観察力」)に頼るところが大きいと感じます。

と、毎年のことですが、私のような単なる駅伝ファンが勝手なことばかり言って申し訳ありません……。どうか最後まで体調管理に注意し、どの大学もどの選手も最高のパフォーマンスを見せてほしいと願っております。

皆様、良いお年を!

12月を走る・4

【12月を走る・4】12月19日は、防府読売マラソン大会が山口県防府市で開催されました。同大会は、日本陸連から「ジャパン・マラソン・チャンピオンシリーズ(JMC)」の指定大会と、「マラソン・グランド・チャンピオンシップ(MGC)」進出の出場権も獲得できる大会に指定されました。

詳細は割愛しますが、日本のマラソン界を支えてきた「びわ湖毎日マラソン大会」や「福岡国際マラソン選手権大会」が幕を下ろしていく中、防府読売マラソン大会は、今後の日本マラソン界の一翼を担う重要大会へとグレードアップしたのです。

このように、日本マラソン界の大きな転換期に入っている中、我々の視覚障がいマラソンもこれまで同様、この読売防府マラソン大会において「日本視覚障がい女子マラソン選手権大会」を開催していただけることは、とても名誉であり、責任を感じます。

昨年の同大会では、視覚障がい女子の道下美里選手が世界新記録で優勝。視覚障がい男子の堀越信司選手がアジア新記録で優勝。そして、今年の東京パラにおいては、その道下美里選手が金メダル、堀越信司選手が銅メダルを獲得するなど、防府読売マラソン大会での成果が、東京パラでのメダル獲得に直結しました。

また、来年2月に開催される「別府大分毎日マラソン大会」も、防府読売マラソン大会同様、「ジャパン・マラソン・チャンピオンシリーズ(JMC)」と「マラソン・グランド・チャンピオンシップ(MGC)」の指定大会となりました。そして、同大会においてもこれまで同様、「日本視覚障がい男子マラソン選手権」を実施します。

もちろん、男女の「日本視覚障がいマラソン選手権」を実施していることと、上記したような日本陸連から指定大会を受けたことは全く関係ありません。しかし、その当時、日本視覚障がいマラソン選手権の開催を打診した際、ご快諾いただいた両大会が日本マラソン界の一翼を担う大会にグレードアップしたことは、とても意義深いと思います(個人的に)。

先日の防府読売マラソン大会においても、視覚障がいマラソンに対する注目度は相当高くなっていると感じました。同時に「適当な走り込みで参加するわけにはいかない」と、強く思いました。来年2月の別府大分毎日マラソン大会に向け、年末年始も気を引き締めていきます。

12月を走る・3

【12月を走る・3】先日の日曜日は、2年振りに奈良マラソンが開催されました。この奈良マラソンには富津合同練習会で一緒に走っている仲間たちも、2010年の第1回大会から参加しており、個人的にも親しみを感じます。

また、この大会はコースの起伏が激しく、国内では難コースのマラソン大会としても有名です。ところが、回を重ねるごとに参加者は増え続け、今では国内屈指の人気大会となりました。このように、大規模な市民マラソン大会は、記録を狙いやすいか否かだけの判断で、人気のバロメーターをはかることは難しいといえそうです。

あらためて、マラソン大会を選ぶ理由や、その楽しみ方は様々で奥が深いと感じます。

さらに、同大会の公式順位はグロスタイムではなく、ネットタイムでの順位を採用していました。この場合、見た目の順位と実際の順位が異なることがおこります。つまり、ある選手が1位でゴールしたとしても、スタートまでのロスタイムの有無により、後方からスタートした選手に負けていることが起り得ることになります。

実は、今回の男子総合順位がそれに近い状況でした。優勝した選手と2位になった選手は、ゴールでのタイム差は3秒でした。しかし、ネットタイムの公式結果では、その差はわずか「1秒」だったのです。2位の選手があと1秒早くゴールしていれば、優勝者が2名になっていたかもしれません。

また、何かの手違いで、優勝する可能性のある選手が、かなり後方からスタートすることになった場合、トップでゴールした選手の優勝が確定するまで相応の時間がかかることになります。その結果、最終的にはガッツポーズでゴールした選手が2位で、後方から途切れめなくゴールする一般ランナーたちの中に紛れてフィニッシュした選手が優勝と、少し複雑な状況になる可能性も……。

いろいろと考えてみるのはこれで終わりにしますが、奈良マラソンは今年も素晴らしい大会でした。あらためて、来年もよろしくお願いします。

12月を走る・2

【12月を走る・2】最後の福岡国際マラソン選手権大会が終わりました。私も沿道で最後の応援をすることができました。しかし、「来年はもうないのか」。そう考えると、とても複雑な思いでした……。

その最後の福岡国際マラソン選手権大会は、国内のトップ選手たちを軸にハイペースな流れで序盤を刻みました。しかし、後半は気温が上昇し(私もかなり暑いと感じた)、ハイペースを維持していくことが難しい状況となりました。

その結果、後半は好記録の期待は薄れていきましたが、マラソンレース本来の醍醐味でもある「サバイバルレース」に流れがシフトし、逆に見応えのあるマラソンだったと思います。あらためて、出場された選手の皆様、最後の最後まで感動をありがとうございました。

また、今回出場した選手たちのほとんどは、いわゆるカーボンプレート内臓の厚底シューズを履いていました。それも相まってか、前半はかなりのハイペースにもかかわらず、どの選手も快調に走っていました。

しかし、上記したように後半は気温が上がり、今度は多くの選手が厳しい状況に追い込まれていきました。コンディションが良く、トラックレースのような平坦な路面ならカーボンプレート内臓の厚底シューズによるメリットが相当なものであることは、既に証明されています。

ところが、今回のように気温が一気に上がると、期待したようなメリットを受けることは難しいと感じます。特に、マラソンのような長時間屋外で実施される競技は自然との戦いでもあり、その自然をコントロールすることは、もちろんできないからです。

今後、暑さ(気温の変化)や強風(風向き)などに対応できる厚底シューズが開発されるとしたなら安心ですが、今時点においてはかなり難しいと思われます(勝手ながら)。したがって、シューズで対応できない部分は、今も昔も選手自身の心と体で補っていくしかありません。

さらに、マラソンは超高速時代に突入していますが、今回のような気温の上昇に対応できるか否かも、やはり選手自身の心と体に直結します。つまり、マラソンもスピードを追求していくことは大切ですが、いつの時代も「地道な(泥臭い)走り込み」がマラソントレーニングの基礎であり、不可欠だと……(五輪や国際大会の多くは暑い夏に開催される)。

最後の福岡国際マラソン選手権大会は、全てのランナーにその大切なメッセージを伝えたのかもしれません。

12月を走る

【12月を走る】今年も最後の月に入りました。そして、いよいよ本格的なマラソンシーズンの到来です。と、いいながらコロナの影響が消えたわけではなく、感染予防対策などは引き続き必須になります。もちろん、このまま各種マラソン大会が無事に開催されていくことを祈るばかりですが……。

さて、今週末は伝統の福岡国際マラソン選手権大会が開催されます。しかし、残念ながら同大会は、今回が最後となります。また、この大会は、私自身がマラソンに興味を持ってテレビ観戦した初めての大会だったと記憶しております(昔話で恐縮です)。

それは、1979年のモスクワ五輪の代表選考になった同大会でした。優勝争いは、当時の瀬古選手と宗兄弟の3選手が平和台陸上競技場まで並んで帰ってくる大接戦。そして、ラスト200mから瀬古選手が強烈なラストスパートで宗兄弟を突き放しての優勝(日本人が上位を独占)。圧巻でした。

今思えば、当時の方が沿道や平和台陸上競技場で応援しているマラソンファンの数は、今よりも多かったような気がします。それだけ当時の瀬古選手や宗兄弟に対する国民の期待や注目度は大きかったと思います。まさにマラソンをメジャーに導いたレジェンドたちです。

もちろん、当時と今の状況は全く違うので、単純に比較することはできません。しかし、当時の瀬古選手はマラソンランナーというより、仮面ライダーなどの昭和のテレビヒーローに近い存在だったように思います。悪の秘密結社を最後は「ライダーキック」で倒していった仮面ライダーのように、最後は伝家の宝刀である「ラストスパート」で、ライバル選手たちを次々と倒していったのです。

その姿に当時の私も含め、多くの国民が熱狂していたのは間違いありません。そして、そのヒーローたちを生み出し、育んできた世界の舞台こそが、福岡国際マラソン選手権大会でした。残念ながら今回で幕を下ろしますが、最終回に新しいヒーローの誕生を心より期待したいと思います。

昭和の仮面ライダーの最終回がそうだったように……。

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