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2022-12

冬を走る・5

【冬を走る・5】2022年も明日で終わりです。毎年のことですが、今年もあっと言う間の1年でした。しかし、2020東京パラ大会が2021年に延期されたこともあり、来年はパリパラ大会の前年になります。

言うまでもなく、とても重要な1年になります。振り返ると、東京パラ大会が1年延期になった影響を感じることは少なかった気がします。しかし、逆にパリパラ大会への間が1年短くなった影響は計り知れないと、あらためて感じます。

もちろん、その影響を最も受けるのは、選手たちであるのは間違いありません。また、そうは言っても、来年の今頃はパリパラ大会への出場権(枠)などを獲得している選手や団体もいることでしょう……。

さて、毎年恒例の年末合宿を28日から千葉県富津公園において実施しております。内容は距離走を2本実施する流れも例年と同じです。しかし、諸事情で同合宿に参加できない強化選手も今年はいます。1年後の同合宿は強化選手全員で迎えられるよう、2023年の強化活動を実践していきます。

あらためて、2022年もたくさんの方々のご理解とご支援のおかげで、強化活動を継続することができました。2023年も引き続き、よろしくお願い申し上げます。

冬を走る・4

【冬を走る・4】今年も2週間を切りました。特に、正月のニューイヤー駅伝や箱根駅伝に出場するチームや選手の皆様にとっては、最後の調整に入っていく時期です。そして、これも毎年のことですが、寒さも一段と厳しくなる季節とも重なります。まずは、出場される選手の皆様方が万全の体調で挑めることを祈念致します。

さて、年明けの元日は日曜日になります。したがって、先日の18日はちょうど2週間前の日曜日に当たりました。案の定、千葉県富津公園においては、ニューイヤー駅伝や箱根駅伝に出場するチームや選手たちが調整していました。

調整の内容はチームや個人によって様々ですが、ちょうど2週間前だったこともあり、どのチームも選手も実際のレース相当の速いペースで走っていました。そして、これも毎年のことですが、拝見していると、チームや個人の仕上がり状態がよくわかります。

私が偉そうに評論できる立場ではありませんが、大会2週間前と言うのは微妙な時期でもあり、実はここから調子が落ちていく選手もいます。もちろん、選手たちの調子を引き上げていくことが調整の目的ですが、監督がどの選手をどの区間に配置するかの最終判断は本当に難しいと思います……。

具体例として、この2週間前に好調の選手が、ここから調子が下降に入った場合、元の調子に戻すことはかなり難しくなります。しかし、選手はもちろん監督も、何かと良い材料を探そうとする時期とも重なるので、その変化を黙殺し、本番でのブレーキにつながるケースは意外に多いと感じます(私の経験上)。

逆に、2週間前のポイント練習が不調で自他ともに落ち込んでいても、そこから調子が一気に上がっていくケースもあります。この場合、その選手は監督の構想から外されるパターンが多いのですが、やむを得ず走らせた結果、区間賞を獲得することも意外に多いと感じます(私の経験上)。

レース後、そのような選手は「調子が悪かったので、開き直って走りました」と、このようなコメントをよくしますが、実は調子が悪いと思っていただけで、2週間前を境に好転していたのでしょう。

これはマラソンの調整にも当てはまりますが、自分自身がどのような周期(日数)で好不調の波を繰り返しているのかをつかんでいるか否かが、最終調整期の大きなカギになります。また、2週間前の調子を踏まえ、そこからどんな調子になっていくかを洞察する力が不可欠ですが……、それが最も難しいのも確かです。

冬を走る・3

【冬を走る・3】年末に向かってコロナの影響が懸念されている中ですが、今年も無事に奈良マラソンが開催されました。同大会は今年で13回目の開催でしたが、私がコーチしている選手たちも縁があって第1回大会からずっとお世話になっております(招待選手として)。

そして、今年も山口遥選手が優勝し、4連覇を達成することができました。そんな彼女も4連覇の前は2年連続2位と、悔しい思いを経験しました。しかも残り1kを切ってから学生選手に逆転されたレースもあり、そのときの落胆したゴールの姿は忘れることができません……。

また、同大会は奈良の観光名所を楽しめる素晴らしいコース設定になっておりますが、実際に走ると、連続するアップダウンの「生き地獄」が待っている国内屈指の難コースです。しかし、この難コースで山口遥選手をはじめ私の選手たちは経験と走力を培い、成長していくことができているのも確かです。

さて、その山口遥選手は日本ブラインドマラソン協会の強化合宿などにおいても、ガイドランナーとして貢献しております。実は、今回の奈良マラソンにおいて、マラソン女子の部で7位に入賞した河口さんと、8位入賞した丸一さんもガイドランナーとして強化合宿にも参加している選手です。

さらに、先日の防府読売マラソン大会において、マラソン女子の部で8位入賞を果たした青山さんも強化合宿でガイドランナーをしている選手です。このように少しずつですが、ガイドランナーとして貢献しながら自身の結果を目に見える形で残せる選手たちも増えてきました。

こんな話を記載すると、まるで安田の手柄のように感じますが、実際は全く違います。なぜなら、ガイドランナーをすることと、自身の走力強化は一緒にならないからです。そのため、自分自身のトレーニング時間とそれに必要な体力以外に、ガイドランナーとしてブラインドランナーたちと一緒に走る時間と体力の捻出も必要になるのです。

要は、仕事や家庭などと両立させながら自分自身のマラソンに挑戦する時間を捻出し、それを継続させること自体も「至難の業」なのに、ガイドランナーとしてブラインドランナーの練習やレースをサポートするための時間や体力などを、さらに絞り出すことがどれだけの負担になるのかは、想像に難くない……。

あらためて、ブラインドランナーに寄り添い、日々献身的にサポートを継続しているランナーの皆様方に、心より感謝申し上げます。

冬を走る・2

【冬を走る・2】山口県防府市において伝統の防府読売マラソン大会が開催されました。また、同大会は日本視覚障がい女子マラソン選手権大会(IPC登録選手)も同時開催いただいております。あらためて、大会関係者のご理解とご尽力に厚く御礼申し上げます。

同大会は、ジャパンマラソンチャンピオンシップシリーズに指定されるなど、大会自体のグレードも年々アップしてきました。特に今年は、一般男子の部は好記録を狙える選手たちがそろい、当日のレースもマラソンファンの期待に応える素晴らしい内容でした。

また、今年からスタート時間を午前中に繰り上げるなど、午後から吹いてくる風の影響を最小限に抑えられる期待もありました。ところが、スタート後は懸念していたその風が少しずつ強くなり、特に30k過ぎからの向風に多くの選手は苦しんでいました。

それだけに、上位3名の男子選手がMGCを獲得したのは驚きでもありました。

さて、私は例年通り、スタート地点で選手をも見送った後は、ゴール地点で選手を待ちましたが、これも例年通り、最後の400mを懸命に力走するランナーの姿は胸が熱くなります。上記した男子の上位選手はもちろん「3時間の壁をはさんだ最後のスパート」など、多くのドラマが今年もありました。

しかし、今年は例年になく気になった点がありました。これは私の主観ですが、ゴール前後で足をケイレンするランナーが多かった点です。特に、ゴールタイムが3時間をこえるランナーが、ケイレンなどでゴール後は車イスで運ばれる姿が例年より多かったように感じました。

もちろん、どのランナーもシューズは、いわゆる厚底(カーボンプレート入り)が主流でしたが……。

その厚底シューズ(カーボンプレート入り)が登場してから年数も経過し、各メーカーから様々なバージョンが販売され、厚底シューズに対するルールも統一されました。また、同シューズを履きこなすための各種補強運動なども普及してきました。

そんな状況の中、これも私の主観ですが足の故障を訴える選手も多くなってきたとも感じます。いつの時代もそうですが、一見すると「美しくて効率の良いフォーム」も、その本人にとっては単に矯正された本来の動きとかけ離れた非効率なものだったりします。

また、人間の走るスピードはピッチよりもストライドに起因すると言われており、カーボンプレート入りの厚底シューズはそのストライドを「誰でも簡単に広げる(タイム短縮)」ことに成功しました。しかし、そのストライドを無理に矯正した影響などが「どのタイミングで、どこに出てくるのか否か?」は、よくわかっていません。至極当然のことですが、ケガや故障防止に対する意識はこれまでのシューズ以上に必要なのは確かでしょう。

冬を走る・1

【冬を走る・1】先日の11月27日は、日本ブラインドマラソン協会主催の「JBMAユニファインドラン」が、新国立競技場を発着点とするコースで開催されました。また、同大会は今年で40回目の開催となりました。

私も同協会のお手伝いをしておりますが、このような大会を40年も前から継続していることには驚きです。そして、ブラインドマラソンを40年も前から支えてきた方々に、あらためて感謝申し上げます。

さて、どんなことにも歴史がありますが、この大会も発足当時は相当な苦労があったと、伺っております。そして、視覚障がいランナーと一般ランナーが「輪にしたロープを握り合ってマラソンを走る」。この走法を普及させたこと自体も驚きです。また、この握り合っているロープを「絆(きずな)」と命名した点は、さらに驚きです。

同大会が発足した当時は、ブラインドマラソンはパラリンピック種目に採用されていませんでした。と言うよりも、パラリンピックや障がい者スポーツそのものが一般の方々の目に触れるようなことも、ほぼ無かった時代です。

そんな時代に、国内にブラインドマラソンを立ち上げ、同大会まで開催した先人たちの行動力と洞察力はブラインドマラソンの普及だけでなく、2024年のパリパラを目指している強化の土台にもつながりました。

どんなスポーツも「普及と強化は車の両輪」と言いますが、まさにそれを体現できる貴重な大会であり、あらためて身の引き締まる1日となりました……。

引き続き、ブラインドマラソンへのご理解ご支援をお願い申し上げます。

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