- 2025-03-21 (金) 12:52
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【2025春を走る・3】実業団vs大学の直接対決となる、エキスポ駅伝大会が開催されました。駅伝ファンのひとりとしては、とても見応えのある内容でした。選手の皆さん、お疲れ様でした。
今回の駅伝は、初の実業団チームと学生チームとの直接対決になるとのことで、SNSなどでも大きく取り上げていました。しかし、駅伝大会の歴史を紐解くと、それに近い駅伝大会が過去にも存在したことを知ることができます……。
今から30数年前、私も現役時代でしたが、全国で開催されていた駅伝大会をいくつか振り返ってみます(今は開催中止になっている駅伝大会)。はじめに、当時は日本三大駅伝と言われていた「朝日駅伝大会(福岡県・99.9k/7区間)」、「中国駅伝大会(広島県・107.5k/8区間)があげられます(三大駅伝のもうひとつは、今のニューイヤー駅伝大会)。
上記した2つの駅伝大会は、学生チームの参加も可能で、実際に実業団チームと大学チームが直接対決することもありました。かくいう私も当時の日本三大駅伝は走っていました。特に、朝日駅伝大会は私自身にとってもたくさんの思い出がある駅伝大会です。
それ以外にも、九州を10日間かけてタスキをつなぐ世界最長の「九州一周駅伝大会」。また、ほぼ同じ開催日程で、青森から東京までを7日間かけてタスキをつなぐ「東日本縦断駅伝大会(青東駅伝」がありました。
私は、青東駅伝大会に千葉県代表選手として、11年連続出場しました。この駅伝大会は、青森から東京までの約880kを61区間に分け、7日間で競い合う駅伝大会です。
参加する各都道県は、24名の代表選手を選考し、ひとりの選手は最低1回、最大3回走ります。また、ひと区間の距離は、10kから20k程度になります。当時の私は毎年確実に3回出走していました。しかも区間距離は15kを超える長距離区間に配置されることが多かったと記憶しております。
つまり、1週間で3本も15k以上のロードレース(起伏の激しい山岳コースが多かった)を走っていたことにもなります。今振り返っても「よく走っていたな」と、私も含め当時の選手たちは本当にタフでした。
また、この青東駅伝大会や九州一周駅伝大会を皮切りに、ニューイヤー駅伝大会の地区予選会、元日のニューイヤー駅伝大会。そして、朝日駅伝大会を走り、最後は中国駅伝大会へと連戦が続きました。
現在も駅伝大会の過密スケジュールを、マラソンを目指す上での弊害と指摘する関係者は多数いますが、30年以上前の選手たちは、その流れをまるで職人のように平然とこなしていました(それらの駅伝と並行してマラソンも走っていた)。
あらためて、駅伝大会も含め物事には必ず賛否両論ありますが、今となっては薄れゆく記憶に残る良き思い出になっております……。
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