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伴走
絆・4
【絆・4】平成24年度最後の盲人マラソン強化合宿を3月2日(土)から1泊2日の日程で実施しました。合宿開催場所は、いつもの千葉県富津市です。今回の強化合宿は、毎年恒例となっている「千葉県民マラソン大会」、10kの部にも出場しました。
そして、今年も大会関係の皆様方のご理解とご尽力により、特別招待選手として出場させていただきました。もちろん選手たちにとっては、マラソンに対するモチベーションを高める絶好の機会となりました。あらためて大会関係の皆様方に対し、厚く御礼申し上げます。
今回の同大会には3名の全盲選手が出場しました。北京パラリンピック日本代表選手の新野正仁選手、加治佐博昭選手と、期待の若手選手である谷口真大選手です。特に、谷口選手については、このブログで何度か紹介した選手でもありますが、今回も「34分46秒」の自己新記録でゴールし、世界へ更に一歩近づきました。
さて、仕事や家庭との両立が原則となる市民ランナーの方々からレース後によく次のような発言を耳にします。「〇〇が無いから走り込めなかった」、「〇〇が忙しかったから走り込めなかった」、「〇〇の予定が急に入ったから走り込めなかった」、等々…。皆さんは、いかがでしょうか?
実は、視覚障害者マラソン選手たちも同じように、「伴走者がいないから走れない」、「誰に伴走をお願いして良いかわからないから走れない」、「伴走者が急にキャンセルしたから走れない」、等々、同じような愚痴を良く耳にします。
谷口選手もかつては全く同じようなことを口にし、自らの行動が伴わない選手のひとりでした。ところが、昨年の2月ごろからロンドンパラリンピックを意識するようになり、谷口選手自身の発言や行動が前向きに変化していきました。
しかし、ロンドンパラリンピック代表には、あと一歩及びませんでしたが、その後も積極的な行動で、トレーニングやトレーニング環境を自ら追い求める姿勢をより強くしていきました。具体的な変化として、合宿やレース後はもちろん、日ごろから伴走者たちに対し、「〇月〇日は伴走をお願いできますか?」、「〇月〇日は練習に伺ってもよろしいですか?」、「〇〇大会で自己記録を狙うので伴走をお願いできますか?」、等々、間髪入れずに積極的な発言と行動で伴走者を確実にゲットし、それに伴って記録もグングンのびてきました。
※谷口選手は今大会の翌週にあたる3月9日(土)には、再び単独上京して我々の業界では有名な熱血伴走者と、マラソン特訓を実施予定です。
物事に対して、「積極的になりなさい」と、誰もが一度は耳にしたことがあり、理解もしています。ところが、それを行動に移すことは意外と難しく、できない理由ばかりを並べてしまうものです。特に、単調で変化の少ないマラソンにおいては、その傾向がより強いと感じます。
かくいう私も発言と行動が伴わない典型的なダメ選手でした。しかし、新年度からは谷口選手のように前向きな発言と行動を意識し、選手強化のお手伝いをしていきます。
引き続き、皆様方の絶大なるご声援をよろしくお願い申し上げます。
つづく。
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絆・3
【絆・3】視覚障害者マラソンの普及と発展に力を注いできた「NPO法人日本盲人マラソン協会(JBMA)」が30周年を迎えることができました。この30年の間、本当にたくさんの方々のご尽力とご支援に支えられてきました。あらためて、心より感謝申し上げます。
当協会は、故杉本博敬初代会長の「情熱と行動力」によって誕生しました。その杉本初代会長は自らも中途失明し、想像を絶する苦労を重ねた方です。しかし、同会長は周りの人々が「舌を巻くほどの情熱」と「圧倒的な行動力」で、次々と理解者を取り込んで当協会の礎を築きました。
さて、視覚障害者がマラソンを走るには伴走者が必要不可欠であり、その伴走者に対しても称賛の声があがります。もちろん素晴らしいことに違いありませんが、マラソンを走ろうと決意して行動をおこすのは、あくまでも視覚障害者本人です。したがって、視覚障害者本人の情熱と行動力が無いと、マラソンのスタートラインに立つことすらできません。つまり、伴走者は選手(視覚障害者)の情熱と行動力によって、選手(視覚障害者)から伴走されるのです。
1996年のアトランタパラリンピックで日本人初の金メダルを獲得した全盲の柳川春己氏は「金メダルをとる!」と、合う人たちに言い続けました。そして、まさに「舌を巻くほどの情熱」と「圧倒的な行動力」で、見事に金メダルを獲得しました。
これは、一般のマラソンにも当てはまります。今回の30周年記念大会にゲストランナーとして花を添えていただいた公務員ランナーの川内優希選手も決して恵まれた練習環境ではありません。しかし、実業団ランナー(プロ)たちも「舌を巻くほどの情熱」と「圧倒的な行動力」で結果を残し、今や日本陸連までも熱い視線を注いでおります。
先日の京都福知山マラソンで、全盲の和田伸也選手が2時間36分32秒のアジア新&日本新をマークしました。上記した柳川氏がアトランタパラリンピックでマークした記録は2時間50分56秒と、当時のアジア新&日本新でした。1996年から記録的には14分弱も進歩したことになります。しかし、柳川氏が残してきた功績には、未だ到達することはできません。
これから世界と勝負していくために必要なことは、トレーニング環境やそれを裏付ける資金等、ハード面の整備は欠かすことができません。しかし、先人たちが身を持って示してきたソフト面にあたる、マラソンに対する「舌を巻くほどの情熱」と「圧倒的な行動力」を取り戻すことが、実はこれからの時代にも必要不可欠であると感じます。そして今回、30周年の節目をあらたな土台とし、意識改革も含めた新しい歴史を構築していきます。
引き続き、皆様方の絶大なるご理解ご支援をよろしくお願い申し上げます。
つづく。
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北京へ・2
北京パラリンピック視覚障害者マラソンの日本代表選手が正式決定しました。あらためて紹介すると、高橋勇市選手(43歳)、加治佐博昭選手(34歳)、新野正仁選手(51歳)の3名。高橋選手は、前回のアテネパラリンピック金メダリスト(全盲の部)であり、今回の北京で前人未到の連覇を狙います。そして、昨年11月の福知山マラソンで、その高橋選手を終盤激しく追い上げた成長著しい加治佐選手。更に、4月のかすみがうらマラソンで自己記録を更新したばかりの新野選手。今回も史上最強の日本代表選手を選出することができました。そして、かくいう私は、視覚障害者マラソンのコーチとして北京に帯同し、代表選手及び伴走者達のサポートをさせて頂くことになりました。
早速、先日の6月7日(土)から1泊2日の日程で、千葉県富津市富津公園において、日本代表選手の第2回強化合宿を実施しました。この富津公園では、過去に何度も合宿を実施しているので、選手達もコースを熟知しており、今回も精力的に走りこんでいました(高橋選手は私用のため、今回は不参加)。
さて、視覚障害者マラソンの伴走は、どなたでも簡単にすることができます。しかし、日本代表選手の伴走はある意味特殊で、やはりそれなりの走力が必要となります。また、伴走者の走力が選手より高ければ高いほど伴走者自身のゆとりとなり、同時に選手のゆとりにもなります。これは、至極当然の話ですね。では、走力のある伴走者が選手をサポートすれば、どんな選手でも好成績をおさめることができるでしょうか?残念ながら答えは「No」です。実は、ここが視覚障害者マラソンの最も難しい点でもあります。
それは、選手と伴走者が歩調と同時に、「心」を合わせる必要があるからです。特に、国際大会となれば、何日間も行動を共にします(更に同じ部屋で、24時間全てを共にする)。また、選手は伴走者がいないと一歩も走れませんが、伴走者はその選手が走っていなければ根本的に必要ありません。このように、選手と伴走者は微妙な距離間を保っている関係でもあります。もっと言うと、些細なことで、選手と伴走者の関係は亀裂が入りやすく、コンビとして破綻してしまうこともあります(お互いが不信感を持つと、一歩も走れなくなる)。
北京パラリンピックまで3ヶ月弱となりました。それぞれの代表選手と伴走者の走るリズムは、しっかりと合ってきました。あとは「心」です。それには、選手と伴走者がお互いにもっともっと深く掘下げた部分で理解する必要があります。つまり合宿等で、お互いの生い立ち話も含め、何でも積極的に語り合うことが重要です(特に伴走者の方から)。すると、お互いの生々しい話も飛び出し、人の痛みや情けを知ることができます。そして、情に流されそうになる気持が、どんどん強くなって行きます。ところが、その気持が強くなってくるほど、過酷な状況下のレースや練習では逆に、的確な判断や伴走が可能になってくるから不思議です。そうやってお互いの「心」がひとつになった時、はじめて世界との勝負が可能となります。
だから、選手と伴走者を結んでいる伴走ロープを、「絆」と言うのです。
皆様の絶大なるご声援をお願い申し上げます!
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