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2025-03

2025春を走る・4

【2025春を走る・4】2024年度も終わり、間もなく新年度がスタートします。今年度は何と言っても「パリパラリンピック」が開催されました。そして、皆様方のご支援のおかげでメダルを獲得することができました。あらためて、厚く御礼申し上げます。

さて、今年度最後の強化合宿をいつもの千葉県富津市富津公園で実施しましたが、今年度も通算で100日以上の合宿を継続することができました。また、年間を通じて強化合宿を100日以上も実施しているパラ関係の競技団体は、他にはないかもしれません……。

果たして、費用対効果と言う視点で振り返ったとき、年間を通じて100日以上の合宿が必要か否かの判断は、実はとても難しい。一方、視覚障がいランナーがそれぞれの地元において、長期展望に立った戦略のもと、計画的かつ効果的なトレーニングを日々積み重ねていくことができるか否かの判断は、実はもっと難しく、不確実性が高いとも言えます。

その主な理由としては、日々のトレーニングに不可欠な伴走者(ガイドランナー)を確実に確保していけるか否かはもちろん、世の中は目での確認が不可欠な情報が氾濫しているからです。そのため、視覚障がいは「情報障がい」とも言われており、健常者が目から得ている情報がほぼ遮断されていることで、多くの情報などをリアルタイムで取得することが難しいのです(弱視ランナーもほぼ同じ)。

特に、マラソンなどのスポーツには必ず動きなどの動作が伴います。例として、ランニングフォームについて学ぶとき、一般ランナーはお手本となるランナーのフォームを見て、それを真似ることからスタートします。ところが、視覚障がいランナーはそれが難しく、良いフォームの特徴を耳で聞いて、それを頭で解釈しながら実践することになりますが、そのことがどれだけ難しいことかは想像に難くありません(ほぼ不可能)。

また、一般ランナーは、マラソンや駅伝観戦を通じて、トップランナーがどんな体型(体が絞れている)をしていて、どんなスピードで走っているのかを、直接目で確認することができます。その結果、どれほどの努力(走り込み)をしないと、その域に到達しないかをリアルに感じることが可能です(他者との比較)。ところが、視覚障がいランナーの場合、特に動きを伴うマラソンなどに関しては、この「他者との比較」が難しいことが、実は大きなハンディにもなっているのです。

以上、長くなりましたが、上記してきた実例などからも、視覚障がいランナーが専門的なマラソントレーニングの理論や実践を取得すること。さらに、パラリンピックを目指す上での必須情報などは、直接対面しないと正確に受け取ること(理解すること)が極めて難しいことは今も昔も変わらないのです。したがって、強化合宿(皆で集まる)を通じて繰り返しそれらを実践していくことが、実は最も効果的で効率的な手段のひとつと考えるのです。

2025春を走る・3

【2025春を走る・3】実業団vs大学の直接対決となる、エキスポ駅伝大会が開催されました。駅伝ファンのひとりとしては、とても見応えのある内容でした。選手の皆さん、お疲れ様でした。

今回の駅伝は、初の実業団チームと学生チームとの直接対決になるとのことで、SNSなどでも大きく取り上げていました。しかし、駅伝大会の歴史を紐解くと、それに近い駅伝大会が過去にも存在したことを知ることができます……。

今から30数年前、私も現役時代でしたが、全国で開催されていた駅伝大会をいくつか振り返ってみます(今は開催中止になっている駅伝大会)。はじめに、当時は日本三大駅伝と言われていた「朝日駅伝大会(福岡県・99.9k/7区間)」、「中国駅伝大会(広島県・107.5k/8区間)があげられます(三大駅伝のもうひとつは、今のニューイヤー駅伝大会)。

上記した2つの駅伝大会は、学生チームの参加も可能で、実際に実業団チームと大学チームが直接対決することもありました。かくいう私も当時の日本三大駅伝は走っていました。特に、朝日駅伝大会は私自身にとってもたくさんの思い出がある駅伝大会です。

それ以外にも、九州を10日間かけてタスキをつなぐ世界最長の「九州一周駅伝大会」。また、ほぼ同じ開催日程で、青森から東京までを7日間かけてタスキをつなぐ「東日本縦断駅伝大会(青東駅伝」がありました。

私は、青東駅伝大会に千葉県代表選手として、11年連続出場しました。この駅伝大会は、青森から東京までの約880kを61区間に分け、7日間で競い合う駅伝大会です。

参加する各都道県は、24名の代表選手を選考し、ひとりの選手は最低1回、最大3回走ります。また、ひと区間の距離は、10kから20k程度になります。当時の私は毎年確実に3回出走していました。しかも区間距離は15kを超える長距離区間に配置されることが多かったと記憶しております。

つまり、1週間で3本も15k以上のロードレース(起伏の激しい山岳コースが多かった)を走っていたことにもなります。今振り返っても「よく走っていたな」と、私も含め当時の選手たちは本当にタフでした。

また、この青東駅伝大会や九州一周駅伝大会を皮切りに、ニューイヤー駅伝大会の地区予選会、元日のニューイヤー駅伝大会。そして、朝日駅伝大会を走り、最後は中国駅伝大会へと連戦が続きました。

現在も駅伝大会の過密スケジュールを、マラソンを目指す上での弊害と指摘する関係者は多数いますが、30年以上前の選手たちは、その流れをまるで職人のように平然とこなしていました(それらの駅伝と並行してマラソンも走っていた)。

あらためて、駅伝大会も含め物事には必ず賛否両論ありますが、今となっては薄れゆく記憶に残る良き思い出になっております……。

2025春を走る・2

【2025春を走る・2】ここ数年、「部活動の地域移行」の話題が多くなりました。内容的には、「これまで中学校・高校の教員が担ってきた部活動の指導を、地域のクラブ・団体などに移行すること」です。

もう少し説明すると、文部科学省が2020年9月に「学校の働き方改革を踏まえた部活動改革について」の書面で、「2023年度から公立中学校での休日の部活動の地域移行をスタートすること」を発表したことです。

それを受け、スポーツ庁と文化庁が2022年12月に策定したガイドラインに基づき、まずは2023年度から3年間かけて、「公立中学校」の「休日」の「運動部」の部活動を優先し、「段階的に地域移行しようとしていること」を指します。

さて、前置きが長くなりましたが、私が在住する千葉県君津市においても、上記した方針にしたがって、「部活動の地域移行」を実施していくことに……。もちろん、様々な問題が山積しているので、市の教育関係者などが号令をかけただけでは、実行できるはずもありません。

まずは、君津市としては地域移行に向け、今年度と来年度をテスト期間とし、中学校の陸上競技の短距離と長距離に絞って試すことになりました。そして、その長距離部門のコーチ(指導者)として、私もお手伝いすることに……。

具体的には、昨年の9月ころから市の教育関係者や他のコーチとの打ち合わせを重ね、12月から今年の3月までの日曜日を活用して地域クラブ活動を実施しました。また、開催に先立って、君津市内の全中学校に開催案内を配布し、参加希望者を募りました。

もちろん、陸上部の生徒だけが対象ではないので、テニス部やサッカー部など、運動系の生徒や、逆に美術部などの文化系の生徒もいます。参加した生徒たちが記載した目標や目的を拝見すると、「専門的な指導を受けて速くなりたい」、「運動不足を解消したい」など、参加目的は本当に様々でした。

経験上の話になりますが、年齢に関係なく、ある程度走れる人よりも、初心者(未経験者)にランニング指導をする方が、はるかに難しいことは今も昔もかわりません。今回、限られた時間と場所で、経験者(上級者)と初心者を同時に指導することの難しさを、あらためて勉強することができました(部活動なので速くすることが第一の目的ではない)。

一方、コーチたちの指導を真剣な目で聞いている中学生たちの取組み姿勢に、やりがいや達成感を感じることができたのも確かです。この先、どんな方針になっていくのかはわかりませんが、自分にできることは今後も積極的にかかわっていきたい……。

2025春を走る・1

【2025春を走る・1】先日の3月2日は、東京マラソン大会が開催されました。ところが、前週の大阪マラソン大会とは真逆のコンディションとなってしまい、出場した選手たちは暑さとの戦いとなりました。

一般的には、12月から3月上旬の気温は10度前後で安定しており、いわゆるマラソンシーズンとも言われております。ところが、逆に15度を超えるような気温になると、身体が暑さに慣れていないことも相まって、走っている選手たちにとってはある意味、夏マラソンに匹敵するような苦しい体感になります。

今年の東京マラソン大会は、まさにそんな過酷なコンディションだったとも言えます。また、夏マラソン攻略方法のカギは、「前半を抑えて後半ペースアップ」する走法。いわゆる「ネガティブスプリット」の実戦が重要ポイントのひとつになると考えます(詳細は割愛)。

さて、今回の東京マラソン大会は記録を狙える世界屈指の大会でもあるので、男子については、ペースメーカーが3段階に設定されていました。具体的には、「第1グループ:2分52秒~53秒/k」、「第2グループ:2分55秒~56秒/k」、「第3グループ:2分57秒~58秒/k」の3グループです。

スタート後、日本人選手は「第1グループに1名」、「第2グループに数名」、「第3グループに多数」。テレビ観戦で確認した状況ですが、日本人選手たちも積極的に記録へ挑戦していました。

ところが、上記したようにレース後半は気温が20度前後まで上昇し、中間点以降はどの選手も暑さに苦しむ状況へと追い込まれていきました。そんな中で、日本人選手の1位は、市山翼選手が第3グループから後半追い上げ、2時間6分00秒の自己新記録でゴール。しかし、総合順位は10位。世界の壁は厚かったとも言えるのでしょうか。

参考までに上位8選手たちが、中間点通過時に上記したどのグループで走っていたかを確認してみました。「1位~4位と7位の選手:第1グループ」、「5位の選手:第2グループ」、「6位と8位の選手:第3グループ」。

一方、日本人選手の上位6選手は、「日本人1位~2位と5位の選手:第3グループ」、「日本人3位~4位と6位の選手:第2グループ」。また、スタートから第1グループで健闘していた選手は、力尽きて途中リタイヤ。

この結果を振り返ると、世界のトップ選手は、「最初から攻め、暑くなった後半もゴールまで粘り倒した(暑さの中でも極端なペースダウンを回避した)」。一方、日本人選手は「最初から第3グループで力を温存しながら走っていた選手たちが、後半ペースアップして日本人上位でゴールした(勝負に絡めなかったが、暑い中でのマラソン攻略はできていた)」。

もちろん、私がこの結果を正確に分析することはできませんが、世界は暑い中でも積極的に攻めていく選手が増えてきているのは確かなようです。また、オリパラなど世界的に大きな大会は夏開催がメインなので、「日本人でも暑い中ならマラソンで勝負できる」と言われてきました。

しかし、その考え方をあらためていく時期かもしれません(パラも)……。

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