【伴走者・7】惨敗に終わった2008年北京パラリンピックでしたが、この2008年は2012年ロンドンパラリンピックを見据えた意味においては、重要な起点となった年でした。
また、当時は単独走が可能なT12選手の発掘と育成が強化の重要課題でした。そんな中、2008年時点においては既に数名の選手を強化指定選手に取り込むことはできていましたが、世界と勝負できるレベルには到達していません。しかし、北京パラリンピックにはその単独走が可能な2選手も派遣していました(トラック種目など)。
もちろん、世界と勝負できない選手の派遣については反対意見もありましたが、「北京の経験が2012年ロンドンパラリンピックに必ず活きる」との強い思いがありました。案の定、この2選手はその後、チームジャパンのエースとして世界でメダルを取れる選手に成長していきました。
そして、この2008年はもうひとつ大きな出会いがありました。それは、北京パラリンピック後の11月に京都で開催された福知山マラソン大会でした。「京都におもしろい(強い)選手がいる」との情報は以前から耳に入っており、その選手が福知山マラソン大会に出場することになったのです。
私は同大会役員でもあったので、その選手に直接会える機会を得ることができました。そして、大会の受付けで初めてお会いし、話しをしました。おとなしい印象の選手でしたが、内に秘めたものを強く感じました。
また、「目標はサブスリー」とのことでしたが、まさにそのとおりの走りを見せてくれました。実際に拝見したその走りは、全盲選手とは思えないバランスの取れたフォームに、「これは世界で勝負できる」と直感したのと同時に確信しました。
ゴール後、直ぐに強化指定選手にスカウトしたのは言うまでもありません。その選手は、2012年ロンドンパラリンピックに向け、期待通りに成長していった「T11クラスの和田伸也選手」だったのです。今ではチームジャパンの大黒柱のひとりとして、同クラスにおいては世界のトップを走っています。
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