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2012-06

第29回富里スイカロードレース大会

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6月24日、千葉県富里市において「第29回富里スイカロードレース大会」が、開催されました。この大会は、富里市の名産であるスイカを給水にするユニークなアイディアで、1万人以上のランナーが参加する大きな大会となりました。

また、この時期は気温や湿度も一気に高くなりますが、安全面も考慮してかメイン種目は10kまでとしてあるのも特徴です。同時にマラソンブームが高まり、ハーフマラソンをメインにする大会が増えている中、10kまでの距離で1万人以上のランナーが参加する大会は国内屈指ではないでしょうか。

さて、私がコーチする選手(市民ランナー)たちも毎年参加しておりますが、今年は参加申込が抽選となったため、涙をのんだ選手もいました。そんな中、なぜか、私の女子選手はほぼ全員が抽選に当たっていました(笑)。

このブログでも記載しておりますが、この時期は「スピード養成期」と位置付け、積極的にトラックや10k以下の短い距離のロードレースを走る期です。もちろん、私がコーチする選手(市民ランナー)たちもこの流れに沿って日々のトレーニングに励んでおります。

今回の富里スイカロードレース大会は、スピード養成期の後半にあたり、積極的に短い距離を走ってきたこれまでの成果を見極める意味でも重要視していました。

結果は下記のとおり、参加した選手全員がほぼ予定どおりの内容でした。また、ロンドンパラリンピック代表候補選手である弱視の岡村選手も40歳以上男子10kの部で大会新をマークし、断トツの優勝でした。

◆一般女子10kの部:優勝/H・Y選手/36分23秒(大会新)、2位/M・S選手/38分16秒、3位/M・S選手/38分56秒、5位/A・K選手/39分14秒、6位/M・K選手/39分33秒。◆40歳以上女子10kの部:優勝/M・Y選手/38分10秒(大会新)、2位/A・K選手/39分32秒。

この大会は毎年、気温や湿度が高くなるのも特徴で、今回もかなり厳しいコンディションとなりました。実は、スピード養成期と言って、インターバル系のトレーニングばかりでは、逆に思うような成果はでません。

それは、今回のような過酷なコンディション下では、スピードと同様にスタミナも要求されるからです。そのため、スピード養成期のトレーニングにおいても、ある程度の距離走やペース走を取り入れておかないと、実はスピードも効率よくアップしていかないのです。※この点の詳細については、あらためて、このブログにもアップしていく予定です。

今回、この点のバランスを見極めることができたことは、大きな収穫でした。そして、秋からのマラソンシーズンに向け、これから本格的な走り込みに入っていけそうです。

期分け・45

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マラソンの設定ペースを10kの持久係数から導いたにも関わらず、30k以降失速してしまうケースについてです。もちろん、単にスタミナ不足と言ってしまえばそれまでですが・・・。

実は、ここで取り上げている10kの記録についてですが、その記録を狙うためのトレーニング方法やその記録のとらえ方として大きく2つあります。◆その1).トラックや駅伝を年間の目標とし、10kの記録更新を最大の目標にスピード系のトレーニングを軸にしている。◆その2).マラソンを最大の目標に年間を期分けし、マラソンの記録更新を目標に、10kはそのためのスピードトレーニングと位置付けている。

至極当然のことですが、マラソンをメインにしているランナーのトレーニング方法は「その2」となります。すなわち、年間を期分けする際、マラソンを走るための10kと位置付けておかないと、持久係数がうまくあてはまらなくなるのです。※このブログの「期分け」シリーズです。

少し古い話になりますが、1990年代までのマラソンランナーの多くは、「その2」のトレーニングで確実に成果を上げてきたと感じます。そして、その代表的な選手として、1980年代のマラソン界を席巻していた瀬古利彦選手や中山竹通選手です。

2人に共通していたのは、春から夏にかけては、海外を転戦しながら積極的にトラックを走り、秋から冬は国内のマラソンを走るスタイルを貫いていた点です。※2人とも当時の1万mとマラソンで日本記録を樹立し、専門種目はマラソンと発言していた。

ここで重要なことは、毎年少しずつ距離をのばしてマラソンに到達したのではなく、年間をトラックシーズンとマラソンシーズンに期分けし、それを毎年繰り返しながらマラソンを極めていった点です。これを年間の流れにすると下記のとおりになります。

◆10kの記録を更新する(スピードアップ)→ ◆マラソンのペースが楽に感じる(以前より速いペースにも対応できる)→ ◆マラソンの記録を更新する(スタミナアップ)→ ◆10kの距離が短く感じる(スタートから全力で走っても最後までつぶれない)→ ◆10kの記録を更新する(スピードアップ)・・・。

このように、ある年齢まではトラックを軸にスピードを追及し、それからマラソンに移行する流れではありません。1年間を大きくトラックでスピードを高める時期と、マラソンでスタミナを高める時期とに期分けし、それを交互に繰り返しながらスピードもスタミナも少しずつスパイラルアップしていく流れです。

つづく。

期分け・44

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前回から引き続き、ゴールパターン別のトレーニング方法を考えていきますが、全てのランナーに当てはまるとは限りません。毎度のことですが、この点は予めご了承いただき、マラソンを攻略していく方法のひとつとして参考にして下さい。

では早速、ゴールパターン1の「30k手前で失速し、ゴール手前では歩く程度まで大きくペースダウン」から考えていきます。

はじめに、なぜこのようなパターンになったかです。特に、今回は10kのタイムから持久係数をかけた数値を目標タイムに設定しているので、大きく失速することは原則として回避できたはずです。

そこで考えられる大きな理由として次の2つをあげます。◆理由1).目標タイムに対する設定タイムを守らず、「前半突っ込み型」の流れになってしまった。◆理由2).設定ペースを守ったが、スタミナが切れて30k過ぎから失速してしまった。

このようにあらためて考えたところで大きな理由は、シンプルにこの2つに集約されます。もちろん、掘り下げていけば細かい原因は出てきますが、マラソンの失敗パターンを解析していくと、ほとんどの理由は大きくこの2つに集約されると考えます。

したがって、マラソンを攻略していく対策も至ってシンプルになります。◆対策1).設定ペースをしっかりと守る。◆対策2).30k以降に失速しないスタミナを養成する。

私の経験からも、この2点がマラソン攻略の重要な柱であると感じます。

特に、対策1の設定ペースをしっかりと守ることは、何よりも優先されることと考えます。何回走っても後半失速するランナーの多くは、前半速く走ることを「貯金」と考えているケースは意外に多く見受けます。

しかし、マラソンの場合、前半を設定ペースより速く走ることは貯金ではなく、後半の体力を先取りするのと同様になり、逆に「借金」となります。この点はよく理解していただき、このような考え方をしているランナーはあらためてほしいと思います。但し、駅伝に関しては貯金になるケースもあり、マラソンと大きく違う点のひとつとなります。

次に、対策2についてです。至極当然のことながらこれを実行できれば誰でもマラソンを楽に走れるようになりますが、そうは簡単にいきません。

次回は、この点について考えていきます。

つづく。

ロンドンパラリンピックへの道・10

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6月2日(土)から6月3日(日)の日程で、ジャパンパラ陸上競技大会が大阪長居陸上競技場で開催されました。そして、この大会が、ロンドンパラリンピック日本代表選手決定前、最後の大会となります。そのため、たくさんのマスコミ関係者も駆けつけ、各種目で多くの好記録が誕生しました。

日本盲人マラソン協会の強化指定選手たちも5000mと1500mに出場。特に、最終日の1500mはどの選手も力を出し切り、内容のある素晴らしいレースを披露してくれました。

◆全盲1500m(T11クラス):和田選手/4分19秒94(◎日本新記録)、谷口選手/4分28秒31(◎自己新記録)、加治佐選手/4分37秒34(◎自己新記録)。◆弱視1500m(T12クラス):堀越選手/4分7秒38(◎大会新記録)、熊谷選手/4分19秒74(〇自己新記録)。※注).◎=ロンドンパラリンピック参加A標準記録突破、〇=ロンドンパラリンピック参加B標準記録突破。

しかし、今大会での個人記録はロンドンパラリンピックの代表選考会議に反映されないと、通達されていました。したがって、この大会で初めてA標準記録に到達した選手たちが、日本代表選手に選出される可能性はほとんどありません。※詳細については割愛します。

4年に1回開催されるオリンピックやパラリンピックでは、調子のピークを4年間の中でどのような大会に合わせていくのかはとても重要になります。このブログでも記載している「期分け」シリーズのように、1年間を期分けするのでなく、4年間をどのように過ごしていくかの長期的な期分けが必要になるからです。

具体例として、オリンピックイヤーの年は必ず不調だが、その翌年は物凄い記録をマークする選手は意外に多いと感じます。ところが、オリンピックイヤー以外の年は故障や怪我を繰り返しているにも関わらず、オリンピックイヤーの年にキッチリと調子を上げて代表の座を射止める選手は少ないのです。

このように4年間をひとつの期としてとらえると、4年スパンのピーキングをうまく合わせられる選手とそうでない選手が必ずでてきます。それは、単に記録を持っているとか、単に勝負強いと言った単純な話しではないと考えます。

今回快走した視覚障害者選手たちの中にも、調子のピークをあと3ヵ月早くつくっていれば、日本代表に手の届いた選手もいたと思います。この点については、強化を担当している立場として責任を感じております。

しかし、4年後に再びパラリンピックは開催されます。ロンドンパラリンピック日本代表に選考されなかった選手たちにとっては、これからの4年間をどのようにトレーニングを積み上げていくのかを考えることが、今現在の重要な課題のひとつとなります。

ここまでの4年間を振り返ったとき、単にトレーニング内容だけでなく、もっと大きな視点に立ったトレーニングの流れがどうだったのかを振り返り、4年後のパラリンピックを目指してほしいと願っています。

つづく。

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