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2018-05

東日本実業団陸上

【東日本実業団陸上】埼玉県熊谷市において、5月19日から2日間の日程で東日本実業団陸上競技選手権大会が開催されました。今年もIPC公認種目として視覚障がい男女の1500mと5000mを実施頂きました。

既に何度かこのブログでも説明しましたが、年間を通じて日本陸連公認の各種大会は全国各地で開催されています。しかし、パラリンピックを目指す選手たちにとっては、日本陸連公認だけでは記録が認められません。この上にIPC公認の諸条件を満たし、更にIPC公認申請手続きをしておかないと、パラリンピックを目指す大会としては公認されないのです。

そのため、パラリンピックを目指す選手たちにとっては、記録を狙える身近な大会が極端に少なく、少ないチャンスを活かせる調整能力が強く求められます。特に、中長距離種目は、当日のコンディションに記録が大きく影響されるので、運にも左右されます。

果たして今年の同大会は、19日は強風が吹き荒れる悪コンディションとなりました。種目は1500mでしたが、400mのトラックを1周すると全て向い風のような悪条件です。そんな中、男女とも期待の若手選手が記録更新を狙いましたが、残念ながら強風に阻まれました。

翌日は強い風もおさまり、まずまずのコンディションになりました。種目は5000mです。

この視覚障がい5000mは、特に男子選手は強化指定選手のメンバーがほぼ揃い、記録への期待も高まりました。結果は、全体的なスピードの底上げを感じる内容でしたが、中でもT11クラス期待の若手選手である唐澤選手が、「16分18秒59」と大幅な自己記録を更新しました。

そして、今回の最も大きな収穫は、たった3選手だけの出場だった視覚障がい5000m女子の部でした。

優勝したのは、T11クラスの井内選手でした。その記録は「20分37秒54」と、日本記録を大幅に更新。もちろん、自己記録も1分以上の更新です。同じく2位と3位の選手たちも自己記録を大きく更新しました。

実業団選手たちでも自己記録を更新するには厳しいコンディションでしたが、視覚障がい選手は男女合わせて13名の選手が参戦し、6名の選手が自己記録を更新しました。これから季節は夏に向かうので、長距離種目は過酷を極めていきますが、今大会以上の走りを見せてくれると、期待できる走りでした。

日本男子マラソン記録の推移

【日本男子マラソン記録の推移】既に過ぎた話題ですが、設楽悠太選手がマラソンで日本記録を更新し、1億円を手にした話題は大きく報道されました。小生もマラソンに多少関わりを持っているひとりとして、「日本人にとってマラソンは特別な意味を持ったスポーツである」と感じました。(もちろん、個人的に思っただけですが)

その日本記録更新から既に2ヶ月以上が過ぎ、設楽悠太選手も次の目標に向かって始動している様子で、更なる記録更新を見せてほしいと願っております。

さて、前置きが長くなりましたが、今回は日本男子マラソンの記録推移をあらためて振り返ってみたいと思います。もちろん、既に何度も目にしたことがあると思いますが…。(下記の記録一覧については、途中の記録を幾つか割愛しております)

2時間57分1秒/後藤長一/1920年11月28日 → 最初の日本記録
2時間48分1秒/西田長次郎/1922年11月5日 → 2時間50分突破
2時間36分10秒/金栗四三/1924年4月13日 → 2時間40分突破
2時間26分44秒/池中康雄/1935年4月3日 → 当時世界最高・2時間30分突破
2時間26分42秒/孫基禎/1935年11月3日 → 当時世界最高
2時間18分54秒/中尾隆行/1961年3月21日 → 2時間20分突破
2時間15分15秒8/寺沢徹/1963年2月17日 → 当時世界最高
2時間12分00秒0/重松森雄/1965年6月12日 → 当時世界最高
2時間11分17秒0/佐々木精一郎/1967年12月3日
2時間10分37秒8/宇佐美彰朗/1970年12月6日
2時間9分5秒6/宗茂/1978年2月5日 → 2時間10分突破
2時間8分38秒/瀬古利彦/1983年2月13日 → 2時間9分突破
2時間8分15秒/中山竹通/1985年4月14日
2時間7分35秒/児玉泰介/1986年10月19日 → 2時間8分突破
2時間6分57秒/犬伏孝行/1999年9月26日 → 2時間7分突破
2時間6分51秒/藤田敦史/2000年12月3日
2時間6分16秒/高岡寿成/2002年10月13日
2時間6分11秒/設楽悠太/2018年2月25日 → 1億円獲得

上記した記録は、単純に過去と現在を比較することはできませんが、偉大な先輩方が残してきた経験と知恵を脈々と受け継ぎ、更に試行錯誤を繰り返してきた歴史だと思います。そして、いつの時代も選手自身が体感的に正しいと考えたトレーニング方法の実践が先にあり、科学はいつもその後を検証してきたと言うことです。

まさに今現在も、設楽悠太選手のトレーニング方法や川内優輝選手のトレーニング方法は、どちらも独創的で過去に例がなく、それぞれが独自の成功体験を積み重ねた中から生み出された素晴らしいノウハウです。

このように、型にとらわれれず独自のトレーニング方法でそれぞれが結果を残せるスポーツは珍しいと感じます。そして、それがマラソンの魅力であり、多くの日本人に受け入れられている理由のひとつかもしれません。

菅平合宿

【菅平合宿】いわゆる大型連休の代名詞であるゴールデンウィークも終わりましたが、今年も連休期間は日本ブラインドマラソン協会主催の強化合宿のため、長野県菅平高原で過ごしました。

その強化合宿は4月30日から5月5日までの間で実施しました。また、具体的なトレーニング内容は、全てのトレーニングをトラックで行い、スピードトレーニングはもちろん、ペース走や変化走に関しても全てトラックで走りました。

特に、4月までマラソンを走ってきた選手たちはスピード強化と言うより、トラックで走る感覚を取り戻す方を優先した感じです。

さて、4月30日に菅平高原に到着した日の気温は20度をこえており、平地と変わらないような陽気でした。ところが、後半になってくると季節が逆戻りした感じとなり、気温が10度を下回る日もありました。

また、トレーニングを実施しているトラックの標高は千メートル以上なので、身体が順応していないと呼吸も苦しく感じます。そこに山からの冷たく強い風もあり、体感温度は5度以下に感じるような厳しいコンディションになった日もありました。

もちろん、インターバルトレーニングは平地での設定タイムよりかなり落として実施しましたが、強風や低温のため、どの選手もかなり苦しみました。特に、経験の浅い若い選手は自分自身の限界点を把握しきれていない面もあるので、厳しいコンディションの中、途中で大きく失速する場面もありました。

しかし、疲労が蓄積してくる合宿後半になるほど、逆に「適切なペースで走る」ことを「自分自身の身体との対話」から導くことができるようになってきた点は収穫でした。

トラックレースはマラソンと比較すると、圧倒的に短い距離ですが、レース中の苦しみはマラソン以上に感じる場合も多々あります。そして、トラックレースは単にスピード強化だけでなく、マラソンと違う苦しさを体験し、それを克服することでマラソンに結びつけることが可能です。

今年のゴールデンウィーク合宿も、これからのトラックレースだけでなく、その先にあるマラソンにつながっていく内容でした。

WPAワールドカップマラソン・下

【WPAワールドカップマラソン・下】今回の「WPAワールドカップマラソン」で実施された立位部門を整理しておくと、男子の部が「T12/11・T13・T45/46」、女子の部が「T12/11」になります。

この中で視覚障がいの部に当たるのが、「男女T12/11・男子T13」の3部門になります。日本チームは、視覚障がいの3部門全てにエントリーし、無事にスタートして行きました。

しかし、スタート時からグングン上昇した気温は25度前後までに達し、ロンドンマラソン大会史上最高気温を更新する過酷なコンディション下でのレースとなりました。しかし、どの選手も暑さに怯むことなく、積極的な走りを見せてくれました。

今や日本チームのエース格に成長してきた男子T12/11クラスに出場した熊谷選手は、リオ・パラリンピック金銀メダリストたちを相手に攻めの走りをしました。しかし、やはり力の差があり、中間点付近から少しずつ引き離されて行きました。

こうなると、気温が高いだけに、立て直しながら後半粘ってくるのは厳しい状況です。案の定、熊谷選手が厳しい状況に陥ってきた中、後ろから追い上げてきたのが、男子T13クラスに出場した高井選手でした。

実は、このクラスはパラリンピック種目になっておりません。しかし、高井選手は諦めたり腐ったりすることなく、日々のトレーニングを愚直に継続してきた選手です。そんな高井選手の努力が実を結び、35キロ過ぎには熊谷選手を抜き去り、視覚障がい選手の中では3位に上がり、そのままゴール。もちろん、男子T13の部では、金メダルです。

また、高井選手に抜かれ、一度は諦めかけていた熊谷選手でしたが、40キロから渾身のスパートでもう一度ペースを上げ、激しく追い上げてきた同部門の4位選手を振り切り、銅メダルを死守してのゴール。

女子T12/11の部は、前回チャンピオンの道下選手がスタートから安定したラップを刻み、粘っていたブラジル選手を30キロ過ぎに振り切ると、そのまま2連覇を達成。他の日本代表選手たちも厳しいコンディションの中、力を出し切ることができました。

今回、想定外の厳しいコンディション下でのレースとなりましたが、逆に想定外の「暑さ」を経験することができ、2020東京に向けて貴重なデータを得ることができました。

引き続き、チームジャパンとして地道に強化していきます。

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