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日本製鉄君津

2024秋を走る・8

【2024秋を走る・8】今日から11月です。厳しかった残暑(?)も解消され、朝晩は冷え込むようになってきました。そして、いよいよ本格的なマラソンや駅伝など、ロードレースシーズンの開幕です。

早速、11月3日は学生3大駅伝の第2戦、全日本大学駅伝が開催されます。また、同日には東日本実業団駅伝も開催され、駅伝ファンにとっても駅伝シーズンの到来となります。もちろん、どちらもテレビ中継があるので、その日はテレビの前から動くことができません。

さて、駅伝やマラソン中継は「走っている姿を撮っているだけ」の最もシンプルな映像ですが、多くの人がその映像にクギ付けとなり、感動もします。また、先頭を走っているのが「1番」であり、ルールを知らなくても一目でわかる最もシンプルなスポーツである点も確かです。

かくいう私も駅伝ファンのひとりとして、駅伝中継を欠かすことはできません。私もかつては駅伝を走る側でしたが、今はすっかり応援する側となりました。また、応援する側に座ってしまうと、もはや走る側に戻りたいとは……。それほど、駅伝中継は魅力的であり、同じような気持ちになっている方も多いのでしょうか。

と、応援する側はいつの時代も好き勝手なことを言っていますが、走る側は本当にたいへんです。学生駅伝を目標にしている学生選手は4年間(原則)の限られた期間しかチャレンジすることができず、特に4年生は最後のチャンスになります。

一方、実業団駅伝を目標にしている実業団選手は、生活や人生をかけて勝負をしているので、単純に「その駅伝に勝った負けた」だけでは済まされません。いずれにしろ、何かを背負って勝負している姿(走り)は、多くの方に勇気と感動を与えているのは間違いありません。

あらためて、冒頭に記載したとおり、ようやく秋らしい冷え込みも出てきました。長距離・マラソン選手たちにとっては、走りやすい季節になってきました。半面、体調管理が勝負を左右する季節にもなり、特に風邪対策は万全にしてほしいと思います。

もちろん、脚が多少痛むとか、違和感があるとかもたいへんですが、何とかだましながら走ることは可能です。しかし、風邪による発熱や寝込んでしまうと、調子を維持していくこと自体が難しくなります。どうか万全の体調でテレビに映ってほしいと願っております。

2024秋を走る・7

【2024秋を走る・7】寒暖の差が大きくなりましたが、なかなか秋らしいさわやかな気候になりません……。先日の箱根駅伝予選会も厳しい暑さの中でのレースでした。しかし、その翌日に開催された東京レガシーハーフマラソン大会は秋らしい天候となり、好記録も誕生していました。

特に、10k以上の長距離レースを走る場合、当日の気温に記録は大きく左右されます。一般的には、暑くなっていく春から夏に実施される10k以上の長距離レースは、速さよりも強さ(スタミナ)が求められます。一方、涼しくなっていく秋から冬にかけては、強さよりも速さ(スピード)を追求していくのが一般的な流れでしょうか。

したがって、先日の箱根駅伝予選会に出場した有力大学やその選手たちは、最終的には「1kを3分ペース」でハーフマラソンを押していける調子に仕上げ、そのまま予選会に挑む流れが主流のようです(過去の大会実績を振り返ると)。

ところが、先日のように気温が25度を超えるような過酷なコンディションになると、ハーフマラソンをまともに完走すること自体が難しくなります。もちろん、当日の天候に合わせ、設定ペースを落として走れば問題ないのですが、1kを3分ペースで刻める状態に仕上げた感覚(リズム)を、逆に下方修正することは意外と難しいのです。

また、予選会のレースでは、各大学に所属している外国人選手やエースたちが、暑くなってもスタートからそれなりのハイペースで刻んでいくのは毎年のことです。したがって、気温が高くなっても、スタートからレース全体のペースもそれなりに速くなることは予測できます。

このとき、気温が高いことを理由に、先頭集団から離れていきながらもチームや個人のペースをしっかりと死守できる精神力の強さがあれば良いのですが……。つまり、スタート後、前の集団や選手たちがどんどん視界から消えていく恐怖に耐え、「残り3kで追いつける」と信じて自分たちのペースで走り続けることは、実は簡単ではありません。

いわゆる後半ペースアップしていく「ネガティブスプリット」は、特に暑い中での長距離レースでは必須です(夏マラソンなど)。しかし、箱根駅伝予選会はタイム以上に順位です。したがって、単純に後半ペースアップする戦術は指示して何とか実行できます。ところが、後半ペースアップしながら狙った順位でゴールすることは、相手の実力や状況にも大きく左右されるので、狙いどおりにはいきません……。

さて、厳しい暑さの中での勝負となった今回の箱根駅伝予選会でしたが、上位通過した大学とその選手たちは、日々の走り込みに裏付けされた「強い精神力(暑さにも強い)」も兼ね備えていました。その勢いで、正月の本戦での快走を心より祈念しております!

2024秋を走る・6

【2024秋を走る・6】駅伝ファン待望の学生3大駅伝の開幕となる出雲大学駅伝が開催されました。そして、今年の出雲大学駅伝は、まるで駅伝ファンの期待に応えるかのように、優勝候補の駒澤大学と国学院大学が最終区間まで見応えのある素晴らしいレースを見せてくれました。

この後、いよいよ箱根駅伝予選会があり、全日本大学駅伝へと続いていきます……。

同じように、実業団選手たちも元旦のニューイヤー駅伝を目指し、各地区の予選会が迫ってきました。そんな中、いつもの千葉県富津市富津公園で練習会をしていると、11月3日に開催される東日本実業団対抗駅伝に出場する実業団チーム(強豪2チーム)が、実戦に近いペースでのトライアルをしていました。

たまたま両チームのスタッフの方々とお話をする時間があったので、状況などを伺ってみたところ、特に東日本地区は厳しい戦いになるとのことでした。詳細は割愛しますが、要は東日本地区からニューイヤー駅伝に出場できる枠が、12枠から10枠に減ったからです。

ただでさえ東日本地区の出場権争いは激烈になっている中、2枠減は想像を絶する争いになることは必至です。一方、駅伝は日本の長距離界においては欠かすことのできない伝統競技であり、特に実業団選手にとっては選手生活の根幹でもあります。

それだけに、いつも拝見している実業団選手たちの様子と、この時期の緊張感などは明らかに違います。特に、プロスポーツは努力すれば誰もが報われることはなく、自己新記録を達成しても相手に負ければ、それで選手生命が終わりになることもあります。

また、私の現役時代と違い、今の実業団選手たちは、箱根駅伝(大学駅伝)を走った選手たちが多数を占めています。その大学駅伝では、仮に負けても「最後までよくやった」「最後の粘りは次につながる」など、選手もファンも涙にくれ、最後は情に流されていくような話で完結することは多いと感じます。

もちろん、実業団選手にもそのようなことはありますが、ニューイヤー駅伝に出場できるか否かのボーダー争いをしているチームの現状は本当に厳しいと思います。具体例としては、次年度以降のチーム存続問題。選手個々の移籍や引退問題など、成績次第では厳しい現実がまっている場合もあります。

駅伝ファンのひとりとしては、どのチームも選手たちも力を出し切ってほしいと願っております。そして何よりも、最後まであきらめない「熱い走り」が、次世代選手の夢や希望などにもつながっていくと信じております。

2024秋を走る・5

【2024秋を走る・5】先日の5日土曜日から4泊5日の日程で、いつもの千葉県富津市富津公園において強化合宿を実施しました。また、厳しい残暑が続いていましたが、急に寒暖の差が大きくなってきました。

さて、今回の強化合宿は、これまでのトレーニングパターンを少し変更し、きつくなる方向へ調整しました。詳細は割愛しますが、最終日まで参加した選手たちは、問題なく計画どおりに走り切ることができました。

また、我々が32k走を実施した日は、地元(君津市と富津市)の中学校駅伝大会と一緒になりました。実は、強化合宿や練習会などで走っている富津公園内の周回コースは地元中学校の駅伝大会と同じコースになっています。

このコースは1周2.8kで、中学生たちはひとり1周ずつ走り、6名でタスキをつないでいきます。そして、この周回コースでの駅伝大会は、私が中学生時代から変わっていません。したがって、少なくとも40年以上はこのコースで走り続けているのです(数年間、開催場所が変わった時期もあったが……)。

実は、私が走るきっかけになったのも中学3年生時に、このコースで駅伝を走ったからでした。今回、久々に母校の後輩たちがこのコースでタスキをつなぐ姿を拝見し、40数年前を思い出すことができました。

また、今回の同駅伝大会には、いわゆる全日中の3000mに出場した選手もいたので、どんなタイムで走るかを注目していました。そして、4区に登場したその選手はタスキを受け取ると、まさに飛ぶような走りで目の前を駆け抜けていきました。

果たしてそのタイムは……。

惜しくもコースレコードを達成することはできませんでしたが、私の知る限りでは歴代上位に入るような好タイムでした。実は、この大会のコースレコードは私の2学年下だった選手が保持しています(この後、私もその選手も実業団まで走り続けました)。

つまり、40年以上もその記録は破られていないことになります。当時、その選手は全国的にも活躍し、ジュニアオリンピック大会の3000mで優勝もしました。と、言いながらも当時とはトレーニング方法やシューズなどが大きく変わり、単純に比較することが難しくなりましたが……。

もちろん、当時がすごいとか、今が良いとかを指摘しているのではありません。今回、この富津公園でタスキをつないだ中学生たちが、この先も切磋琢磨しながら長く走ってほしいと……。

2024秋を走る・4

【2024秋を走る・4】10月に入りましたが、30度を超える日がこれからもありそうです。至極当然のことながら本格的なマラソンシーズンに向けた走り込み期に入っているにもかかわらず、距離走自体がまるで夏マラソンのようです。

と、言いながらも富津合同練習会では予定どおり、40k走を実施しました。当日は、気温が30度に到達することがなかったので、速いグループのランナーたちは、何とか設定タイムどおりに完走することができました。しかし、準備した給水は途中で完売するなど、まさに夏マラソンのようでした。

そんな中、前週と同じように、箱根駅伝予選会に出場する大学を4校見かけました。しかもその4校とも予選会突破有力大学でした。そして、その内の3校は16kを速いペースで走っていましたが、3校とも一糸乱れぬ集団走を最後まで崩すことなく走り切っていました。

さて、スポーツには出場するだけで、高い評価を得ることができる大会が存在します。その最も代表的なのは「オリンピック」でしょう。同じように長距離では、箱根駅伝やニューイヤー駅伝など、ある意味においてはオリンピック以上の注目を集めることもあります。まさに日本独自の伝統とも言えるでしょうか。

特に、箱根駅伝に出場することは、大学もその選手も国内では間違いなく注目されます。その盛り上がりは、年々エスカレートしていくばかりです。そして、今では箱根駅伝予選会もテレビ中継されるまでになっています。

その箱根駅伝のシード権を持っている大学の中には、優勝を目標に掲げている大学や選手がいます。そして、予選会には箱根駅伝に出場することを最大の目標に掲げている大学や選手がいます。

しかし、箱根駅伝で4連覇を達成したとしても、その大学の箱根メンバーとして一度も本線を走ることがなければ、箱根駅伝を走ったこと(参加したこと)にはなりません。一方、予選会をギリギリで通過し、本戦では繰り上げスタートになった選手でも箱根駅伝を走った事実は永久に残ります。

長距離に長く携わっていると、過去に出場した箱根駅伝の順位(母校の成績)よりも、箱根駅伝を走ったか否かを問われることが多いと感じます。特に、その選手が年齢を重ねていけばいくほど、箱根駅伝を走ったことの価値が高まっていくような時代に……。

優勝チームに所属し、最後まで切磋琢磨したが、一度も箱根駅伝を走れなかった選手。一方、何とか予選会を突破し、繰り上げスタートになりながらも箱根駅伝を走った選手。価値観は個々に違いますが、目標を「箱根駅伝の優勝」か「箱根駅伝の出場」かの選択によっては、その後の人生にも大きな影響を与えることは確かなようです。

要は、身の丈にあった「目標の設定(大学の選択)」ができるか否かは、何よりも優先されると言うことでしょうか……。

2024秋を走る・3

【2024秋を走る・3】パリパラが終わりましたが、次の大会に向けた強化合宿をいつもの千葉県富津市富津公園にて実施しました。また、12月以降のマラソンに向け、本格的な走り込みをはじめていく時期でもありますが、厳しい残暑がそれを阻んでいます。

もちろん、マラソンだけでなく、駅伝シーズンにも入っていく季節です。そして、強化拠点にしているこの富津公園は、箱根駅伝を目指す大学や五輪を目指す実業団選手たちが走り込みを実施する場所でもあります。

今回、我々が強化合宿を実施している間も、来月に迫った箱根駅伝予選会突破を目指している大学も合宿をしていました。中でも今年の予選会突破有力大学と言われている某大学が、16k走を実施しました(TV撮影も入っていた)。

ところが、当日は厳しい残暑日となり、曇っていたが気温は30度前後。何よりも湿度が80%を超えていました。経験的に言うなら5kを超える距離をレースペース同様に走るには厳しいコンディション。しかし、箱根駅伝予選会当日から逆算すると、ちょうど1ヶ月前。したがって、16k走を実施するタイミングとしては問題ありません。

その設定タイムなどの詳細は割愛しますが、最初の5kを速めのペースで入り、次の5kを少し落とし、10k以降はペースを上げていく設定だったようです。もちろん、その設定タイムも通常なら問題ないと感じました。

果たしてコーチが最後の指示を出し、20名前後の選手たちがスタート。ところが、当初の設定タイムで集団を維持できたのは3k付近まで。その後は集団が完全に崩壊……。そして、16k走を設定タイムどおりに完走した選手はたったの3名。さらに、16kのゴールまで何とかたどり着いた選手が数名……(途中で倒れる選手も)。

こんな状況になるとは私も思いませんでしたが、それほど過酷なコンディションだったのです。と、言いながら最初から実戦よりも遅い設定タイムでスタートさせることは、この練習を実施するタイミングなどを考慮すると、難しい判断だったと思われます。

そして何よりも、実際に走った選手たちのメンタルダメージが懸念されます。同時に、指示を出したコーチとの信頼関係も……。たまたま同じ場所で練習をしていた大学チームでしたが、とても考えさせられる厳しい内容でした。まさに過去に前例のない厳しい残暑をどのように克服しながら12月以降のマラソンに備えていくのか(ロスパラに向けても)。

明日は我が身なのです……。

2024秋を走る・2

【2024秋を走る・2】9月も後半に入りましたが、厳しい記録的猛暑が続いています。また、11月以降のマラソンに備え、本格的な走り込みを開始する季節ですが、ジョギングすることも厳しい状況でしょうか。そんな過酷なコンディションが続く中、日本ブラインドマラソン協会主催の伴走者養成研修会を実施しました。

今回の研修会は千葉県富津市富津公園で行いました。もちろん、同地で研修会を開催するのは初めてですが、強化合宿においては拠点にしている場所でもあります。また、今回の研修会には、アテネ五輪女子マラソン金メダリストで、当協会理事でもある野口みずき氏も駆けつけてくれました。

研修会の内容は、伴走に関する講義や実技指導など多岐にわたり、1泊2日の日程で実施されました。講義では伴走に関するルールはもちろん、視覚障がいに関することなど、かなり深掘りした内容もありました。

私は当協会においては、パラリンピックを目指す強化指定選手をサポートする担当なので、国際ルールは常に意識しています。ところが、国内ルールと国際ルールは似ていますが同じではありません。(詳細は割愛しますが、ダブルスタンダードになっている)。

したがって、いわゆる伴走ロープ(絆)と呼ばれているものも、国内ではロープを輪にしたものが一般的ですが、国際基準ではテザーと呼ばれている手錠型のものが指定されています。しかし、一般的にはほとんど認知されていないことを再確認することができました(国内ルールは伴走ロープでも可)。

続く実技講習においては、伴走の基本的なことからになりました。もちろん、伴走歴の長い方も多く、伴走ロープを持って走ることに対する抵抗感を持っている参加者はほとんどいませんでした。ところが、視覚障がいランナーのフォームや歩調に合わせて走ることが、できていない方が多いことにも少し驚きました。

さて、どんなスポーツもトップを極める「強化」と、底辺を広げていく「普及」の両輪が回らないと、発展していくことはできません。今回のような講習会は普及の意味ではとても重要です。また、各地で普及している伴走クラブなどは、さらに重要で大切な活動になります。

ところが、公式の国際ルールや伴走技術など、一般ランナーの方々は意外と知らない(普及側に情報が伝わっていない)。一方、一般の視覚障がいランナーが「もっと速くなりたい」と、強く思っていても何をどのようにしたら良いかの情報や方法を知ることや、対応できる人材を確保することが意外と難しい(強化側に思いが伝わっていない)。

日本のブラインドマラソンは歴史もあり、強化と普及もそれぞれ発展していますが、両輪をつなぐ軸がとても細いことを、再認識しました。そして、今回のような伴走者養成研修会は強化と普及をつなぐ機会として「もっと力を注いでいかなくては」と、強く感じた次第です。

2024秋を走る・1

【2024秋を走る・1】パリパラは無事に閉幕し、昨日帰国しました。まずは、同大会に関係された様々な方に厚く御礼申し上げます。また、我々のマラソンは大会最終日でしたが、出場した男女4選手全員が無事にゴールすることができました。

男子は、堀越信司選手が7位入賞。女子は、道下美里選手が銅メダル。結果の詳細については割愛しますが、選手たちは力を出し切ってくれました。あらためて、選手たちへのご支援ご協力を惜しみなく注いで頂いた関係者の皆様に重ねて御礼申し上げます。

さて、銅メダルを獲得した道下選手のガイドライナーに対するメダル授与はありません。ルール上、スタートからゴールまで完全に単独伴走をした場合のみ、そのガイドランナーにもメダルが授与されます。

特に、女子選手の場合、男子選手よりも相対的に走力が低くなるので、単独伴走を選択する選手(国)が多い。しかし、各国のガイドランナーを拝見していると「単独伴走で本当に大丈夫かな?」と、思われるガイドランナーが見受けられるのも確かです。

しかし、ガイドランナーは、どんな過酷な状況下に陥っても選手をゴールまで確実に安全に導く役割があります。至極当然のことながら他国選手との駆け引きやペース配分、給水などなど、その役割は多岐にわたります。もちろん、ガイドランナーにかかるプレッシャーや重圧は想像に難くありません(だからこそ選手以上の圧倒的な走力が必須)。

それらを鑑みて、日本チームとしては選手のパフォーマンスを最大限に引き出すため、必ず2人体制を選択しています。つまり、ガイドランナーへのメダル授与は最初から放棄することになるので、その点はガイドランナーも納得した上でのことになります(個人的には2人伴走選択にもメダル授与することを強く望んでいます)。

今回、道下選手のガイドランナーの1人(前半予定)が、体調不良のため本来の調子に届いていませんでした。最終エントリー変更の締切日まで回復を待ちましたが、そのガイドランナーを外し、好調なガイドランナーと入れ替えました。まさに苦渋の選択でした。

果たしてパリパラマラソン当日、道下選手はスタートから4位を独走する苦しい流れに……。しかし、エントリー変更した前半のガイドランナーが、道下選手を好アシスト(4位の単独走になったが、道下選手を設定タイムどおりにキッチリと伴走)。実は、道下選手の後ろを走っていた中国選手は実力者でしたが、この選手の追撃を見事にかわしていたのです。

案の定、後半のガイドランナーにチェンジしたあと、中国チームは焦りからか一気にペースを上げ、道下選手を猛追してきました。しかし、30k以降は選手の方が力尽き、最後はフラフラの状態でゴール(5位でゴール後に失格)。さらに、3位でゴールしたスペイン選手は、そのガイドランナーが後半苦しくなり、最後はガイドランナー自ら潰れて選手が失格に……。その結果、道下選手は銅メダルを獲得。もちろん、道下選手のたゆまぬ努力が引き寄せた「銅メダル」でした。

一方、結果的にはレースの流れを読み間違えた中国のガイドランナー。そもそもの走力が不足していたスペインのガイドランナー。そして、ガイドランナーの人選や走力強化にも力を入れ、盤石の状態で挑んだ日本。ガイドランナーの実力と経験の差が、今大会の銅メダル争いを決着したとも言えるでしょう。

2024夏を走る・14

【2024夏を走る・14】パリパラが開幕しましたが、パリパラマラソンチームは千葉県富津市で最後の調整合宿中です。そして、9月8日がパリパラマラソン当日になります。その当日までに予定しているポイント練習は、あと2回。

さて、パラリンピックに出場する選手たちは、選手村に2週間程度滞在します。しかし、2021年の東京大会はコロナ感染防止対策のため、各選手の出場する競技日程に合わせ、競技当日の数日前に入村し、競技終了後は速やかに退村する方式がとられました。

そして、今回のパリ大会も原則として東京大会と同じ方式です。実は、マラソンはパラリンピック最終日の競技になるので、2016年のリオ大会までは、選手村で約2週間も調整していました(事実上の調整合宿)。

もちろん、現地のコンディションに体調を合わせたり、マラソンコースをじっくりと確認できるなど、選手村に長く滞在するメリットはありました。一方、大会最終日が近づくにつれ、競技を終えた選手や関係者は緊張感も解け、楽しむモードに突入していきます。

そのピークは、パラリンピック最終日の前夜。つまり、マラソン選手たちにとっては、出走前日の夜になります。最も体を休め、良質な睡眠が必要な出走前夜にもかかわらず、選手村はお祭り騒ぎになります。

海外の陽気な選手たちは、国境を越えた仲間たちとギターなどを手に歌ったり踊ったりと、選手村の広場などで大いに盛り上がります。まさにこれこそが真の国際交流、パラリンピックとも言えますが、明日に大勝負を控えているマラソン選手たちにとっては……。

もちろん、今となっては薄れゆく記憶の中に残る「思い出」のひとつですが、パリパラも東京パラのように、「静かな夜」になることを……。そして何よりも、出場する選手たちが最後までケガや故障なく、スタートラインに立てることを祈るばかりです。

2024夏を走る・13

【2024夏を走る・13】パリパラマラソンに向け、最終調整に入っていきます。今月は、北海道北見合宿で最後の40k走を実施。その後は、長野県菅平高原で最後の起伏走を無事に終え、今日から千葉県富津市において最後の調整合宿に入ります。

これは、2021年東京パラマラソン前の調整と同じ流れになります。そして、9月2日まではこの富津市で調整し、9月3日にパリへ移動。パリ入り後の9月8日がパリパラマラソンとなります。

そのパリパラマラソンコースですが、オリンピックコースとは違い、厳しい坂道はありません。しかし、小刻みなアップダウンと鋭角に曲がるコーナー。さらに、コース上に点在する石畳など、ハードなコースであることは確かです。もちろん、それらを想定しながら走り込んできましたが、いよいよ最終調整です。

調整の基本は「休養」です。

しかし、目標の大会が近づいてくると、プレッシャーなどが増えてくるので、多くの選手は精神的に不安定な状況に陥り易くなっていきます。すると、練習量を落としていかなくてはいけない時期にもかかわらず、逆にたくさん走る選手がでてきます。

このケースは、選手自身もそのことに気が付いていないことが多く、無意識にガンガン走っていることがあります。そのため、レース後に振り返りをしたとき、なぜうまく走れなかったかの原因をつかめないときがあります。

しかし、しばらくたって、「あいつは、2日前の朝練習でものすごいスピードで走っていた」「あいつは、前日にジョグしてくると言ってから2時間後に帰ってきた」など、チームメートから「トンデモ話」がでてきます。

同様に、飲んだこともないサプリメントを購入したり、一度も受けたことのない治療院に出向いていったりと、不安な気持ちがそのまま行動にあらわれたりもします。もちろん、コーチや監督などが細かい指示を出し、それらを注意喚起しますが、全てを監視して完全に防止することはできません……。

また、選手は1日に2回から3回の練習を日課にしています。したがって「走らないこと」「走れないこと」への罪悪感が強いのが、選手でもあります。しかし、本命レースの数日前は完全休養日なども入るので、逆にひまを持て余すことにもなります。

この矛盾するような現実と心理状態を自身でうまくコントロールできる選手が、本番当日に調子を合わせられます。パリパラマラソンまであと2週間ですが、「迷ったら休養」で調整していきます。

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