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トレーニング計画 Archive

冬を走る・3

【冬を走る・3】前回の「テーパリング」についての続きをもう少し……。ピーキングのひとつであるテーパリングは、練習の質をキープしながら量を落としていき、調子を引き上げていく方法ですが、テーパリングは目標にしたマラソン大会のおおむね1カ月前、もしくは3週間前あたりからはじめていくのが一般的です。

そのため、テーパリングを開始するマラソン大会の1カ月から3週間前の調子がひとつの目安になります。例えばマラソン大会の3週間前に「ハーフマラソンを走って自己記録を更新している状態」。あるいは逆にマラソン大会の4週間前に「疲労が残る中、最後の40k走を何とか走り切った状態」など、個々にその目安は違うことでしょう。このように各自の調整目安(過去の経験やそのデータ)が確立しているランナーならここからのテーパリングも、問題ないかもしれません。

しかし、上記したような判断は計画的な走り込みを継続していないと、偶発的に自己記録を更新できても、狙った大会で安定した結果を残していくことはかなり難しいと思われます(私の経験上)。したがって、ここからテーパリング(最終調整)に入るランナーは、この点をよく自己分析しながら数週間後のマラソン大会で自己記録の更新を狙えるか否かを判断(洞察)し、それに到達できるテーパリング(最終調整)を……。

さて、2月6日に開催される別府大分毎日マラソン大会に向けた最後の強化合宿を千葉県富津市富津公園において実施しました。実施内容の詳細は割愛しますが、それぞれの選手が計画どおりの内容を消化しました。上記したように多くの選手が、この時点における状態(調子)は、ほぼ狙いどおりのレベルに到達しており、このあとのテーパリング次第で記録更新が狙えると感じました。

このように、年間を通じてコンスタントに強化合宿を継続していると、目標の大会に向け、どのタイミングの強化合宿でどのようなトレーニングをすることが適切かの判断が、個々にできるようになっていきます。そして、その積み重ねが2年ごとに開催される世界選手権大会につながり、最大の目標であるパラリンピックでの成果にもつながっていくのです。

まずは、2024年パリに向け、その一歩となるのが、2月6日の別府大分毎日マラソン大会です。ここから各選手がテーパリングに入りますが、それぞれが目標どおりの結果を残してほしいと願っております。

冬を走る・2

【冬を走る・2】新型コロナ感染者数が急増してきました。至極当然のことですが、日々のトレーニングも各種感染対策を再徹底しながらになります。一方で、最も危惧していた大会の中止や延期の話が再び聞こえてきまました。もちろん、感染拡大防止策としては、効果的であることは理解していますが……。他に良い対策はないのでしょうか……。

そんな不安定な状況になりつつありますが、現時点においては開催予定の各マラソン大会に向けた走り込みを継続しています。特に、1月末から2月中旬に開催されるマラソン大会に出場する選手にとっては、いよいよ最後の調整段階に入ってきています。

このブログでも何度か記載してきましたが、狙った大会で最高のパフォーマンスを発揮できるよう調整していく「ピーキング」が重要になります。マラソンだけでなく、全てのスポーツに共通するのが、大会(レース・試合)は日々の練習の積み重ねの集大成です。

同時に、競技として「勝つため(結果を残す)」に苦しい練習に耐えてきた選手も多いことでしょう。だからこそ、ピーキングが大切になりますが、このピーキングの中には様々な方法が含まれます。例えば、大会数日前から炭水化物を中心に摂取する「カーボローディング」も食事の調整方法として、ピーキングのひとつになります。

また、他にも練習の質をキープしながら量を落としていく「テーパリング」と呼ばれる調整方法があります。これは疲労を抜いて調子を上げていくことが目的になりますが、これもピーキングのひとつになります。

特に、この「テーパリング」が重要なのは、多くの選手が理解していることです。しかし、頭で理解していても、それを実践できるか否かは全く違うことでもあり、これも多くの選手が経験していることです。

テーパリングは、目標の大会からおおむね1ヶ月前あたりから開始していくのが一般的ですが、まずはその時点の調子を正確に把握できているか否かがポイントになります。また、逆にその時点から焦って走り込みを強化しても、走力が劇的に向上することは難しいと、理解していることも大切なポイントになります。

つまり、目標のマラソン大会のおおむね1ヶ月前時点の調子を自分自身で正確に把握することからテーパリング(最終調整)はスタートします。

冬を走る・1

【冬を走る・1】今年も駅伝からはじまりました。元日のニューイヤー駅伝は、HONDAが悲願の初優勝。しかし、HONDAは、私が現役時代にはすでに強豪チームだったので、初優勝とは意外な感じでしたが、2位以下とのタイム差以上に強かったと思います。

恒例の箱根駅伝は、青山学院大学が圧勝でした。独走する青山学院大学を追いかける2位以下の各大学がブレーキを繰り返しながら順位が入れ替わり、先頭からどんどん離されていく展開でした(まさにテレビで見たまま)。

と、いいながら青山学院大学が驚異的な記録で独走しているにもかかわらず、繰り上げスタートになった大学は、わずか2校。つまり、先頭を追いかける各大学の選手たちも区間順位的にはブレーキ(いわゆる二けた順位)となっていても、記録的には監督から指示された設定タイムを大きくクリアしていた選手も多かったのでは……。

もちろん、上記したことは私の単なる憶測ですが、厚底シューズの恩恵もあって、これだけ高速化が進むと、過去の経験やデータからレースを見極めていくことは相当難しいと想像できます。それだけに、青山学院大学原監督のレースを読み切る洞察力は、間違いなく群を抜いていました。

箱根駅伝が終わったあと、「青山学院大学の時代がしばらく続く」といったコメントが多かったようですが、原監督が各区間に配置した選手と、レースの流れが見事にマッチングしていた圧巻のレースでした……

1月4日の富津公園には、前日の箱根駅伝を走った大学の姿もありました。これも毎年のことですが、来年の箱根駅伝へ向けての取り組みはゴール直後からスタートします。そして、これも毎年のことですが、私自身も「今年も頑張る!」と気持ちが入りました。

本年もよろしくお願い申し上げます。

12月を走る・5

【12月を走る・5】本年も明日までとなりましたが、今年は何と言っても1年延期された東京オリパラを無事に開催できたことが何よりでした。あらためて、開催にご尽力いただいた関係者の皆様に厚く御礼申し上げます。

さて、今年も明日までの日程で、強化合宿を千葉県富津市富津公園において実施しております。そして、今年も例年同様、箱根駅伝に出場する各大学が最後の調整を実施している姿が見られました。

その調整の内容も、おおむねどの大学も同じような距離を同じようなペースで走っており、どの大学も例年どおりに見えました。したがって、走っている姿を拝見している限りは、どの大学も仕上がりは順調に見えました……。

しかし、同じような距離を同じようなペースで走っていますが、その走らせ方は大学ごとに少しずつ違っています。最もよく拝見するパターンとしては、数十秒間隔でスタートさせていく走り方です。駅伝を意識した調整としては、最もスタンダードな方法といえるかもしれません。

また、同じような単独走になりますが、時間を完全に区切り、1人ずつ走らせる調整方法もあります。例として、朝の8時から1時間ごとに1人ずつ走る方式です。もちろん、タスキを渡すことはしませんが、前後が全くいない完全な単独走になります。

逆に、チームによっては、数名の小集団で走っている大学もありました。もちろん、これらの調整方法については、どれが正しいとかの判断はできませんが、各大学の指揮官(監督)の洞察力(経験とデータに裏打ちされた「直観力と観察力」)に頼るところが大きいと感じます。

と、毎年のことですが、私のような単なる駅伝ファンが勝手なことばかり言って申し訳ありません……。どうか最後まで体調管理に注意し、どの大学もどの選手も最高のパフォーマンスを見せてほしいと願っております。

皆様、良いお年を!

12月を走る・3

【12月を走る・3】先日の日曜日は、2年振りに奈良マラソンが開催されました。この奈良マラソンには富津合同練習会で一緒に走っている仲間たちも、2010年の第1回大会から参加しており、個人的にも親しみを感じます。

また、この大会はコースの起伏が激しく、国内では難コースのマラソン大会としても有名です。ところが、回を重ねるごとに参加者は増え続け、今では国内屈指の人気大会となりました。このように、大規模な市民マラソン大会は、記録を狙いやすいか否かだけの判断で、人気のバロメーターをはかることは難しいといえそうです。

あらためて、マラソン大会を選ぶ理由や、その楽しみ方は様々で奥が深いと感じます。

さらに、同大会の公式順位はグロスタイムではなく、ネットタイムでの順位を採用していました。この場合、見た目の順位と実際の順位が異なることがおこります。つまり、ある選手が1位でゴールしたとしても、スタートまでのロスタイムの有無により、後方からスタートした選手に負けていることが起り得ることになります。

実は、今回の男子総合順位がそれに近い状況でした。優勝した選手と2位になった選手は、ゴールでのタイム差は3秒でした。しかし、ネットタイムの公式結果では、その差はわずか「1秒」だったのです。2位の選手があと1秒早くゴールしていれば、優勝者が2名になっていたかもしれません。

また、何かの手違いで、優勝する可能性のある選手が、かなり後方からスタートすることになった場合、トップでゴールした選手の優勝が確定するまで相応の時間がかかることになります。その結果、最終的にはガッツポーズでゴールした選手が2位で、後方から途切れめなくゴールする一般ランナーたちの中に紛れてフィニッシュした選手が優勝と、少し複雑な状況になる可能性も……。

いろいろと考えてみるのはこれで終わりにしますが、奈良マラソンは今年も素晴らしい大会でした。あらためて、来年もよろしくお願いします。

12月を走る・2

【12月を走る・2】最後の福岡国際マラソン選手権大会が終わりました。私も沿道で最後の応援をすることができました。しかし、「来年はもうないのか」。そう考えると、とても複雑な思いでした……。

その最後の福岡国際マラソン選手権大会は、国内のトップ選手たちを軸にハイペースな流れで序盤を刻みました。しかし、後半は気温が上昇し(私もかなり暑いと感じた)、ハイペースを維持していくことが難しい状況となりました。

その結果、後半は好記録の期待は薄れていきましたが、マラソンレース本来の醍醐味でもある「サバイバルレース」に流れがシフトし、逆に見応えのあるマラソンだったと思います。あらためて、出場された選手の皆様、最後の最後まで感動をありがとうございました。

また、今回出場した選手たちのほとんどは、いわゆるカーボンプレート内臓の厚底シューズを履いていました。それも相まってか、前半はかなりのハイペースにもかかわらず、どの選手も快調に走っていました。

しかし、上記したように後半は気温が上がり、今度は多くの選手が厳しい状況に追い込まれていきました。コンディションが良く、トラックレースのような平坦な路面ならカーボンプレート内臓の厚底シューズによるメリットが相当なものであることは、既に証明されています。

ところが、今回のように気温が一気に上がると、期待したようなメリットを受けることは難しいと感じます。特に、マラソンのような長時間屋外で実施される競技は自然との戦いでもあり、その自然をコントロールすることは、もちろんできないからです。

今後、暑さ(気温の変化)や強風(風向き)などに対応できる厚底シューズが開発されるとしたなら安心ですが、今時点においてはかなり難しいと思われます(勝手ながら)。したがって、シューズで対応できない部分は、今も昔も選手自身の心と体で補っていくしかありません。

さらに、マラソンは超高速時代に突入していますが、今回のような気温の上昇に対応できるか否かも、やはり選手自身の心と体に直結します。つまり、マラソンもスピードを追求していくことは大切ですが、いつの時代も「地道な(泥臭い)走り込み」がマラソントレーニングの基礎であり、不可欠だと……(五輪や国際大会の多くは暑い夏に開催される)。

最後の福岡国際マラソン選手権大会は、全てのランナーにその大切なメッセージを伝えたのかもしれません。

12月を走る

【12月を走る】今年も最後の月に入りました。そして、いよいよ本格的なマラソンシーズンの到来です。と、いいながらコロナの影響が消えたわけではなく、感染予防対策などは引き続き必須になります。もちろん、このまま各種マラソン大会が無事に開催されていくことを祈るばかりですが……。

さて、今週末は伝統の福岡国際マラソン選手権大会が開催されます。しかし、残念ながら同大会は、今回が最後となります。また、この大会は、私自身がマラソンに興味を持ってテレビ観戦した初めての大会だったと記憶しております(昔話で恐縮です)。

それは、1979年のモスクワ五輪の代表選考になった同大会でした。優勝争いは、当時の瀬古選手と宗兄弟の3選手が平和台陸上競技場まで並んで帰ってくる大接戦。そして、ラスト200mから瀬古選手が強烈なラストスパートで宗兄弟を突き放しての優勝(日本人が上位を独占)。圧巻でした。

今思えば、当時の方が沿道や平和台陸上競技場で応援しているマラソンファンの数は、今よりも多かったような気がします。それだけ当時の瀬古選手や宗兄弟に対する国民の期待や注目度は大きかったと思います。まさにマラソンをメジャーに導いたレジェンドたちです。

もちろん、当時と今の状況は全く違うので、単純に比較することはできません。しかし、当時の瀬古選手はマラソンランナーというより、仮面ライダーなどの昭和のテレビヒーローに近い存在だったように思います。悪の秘密結社を最後は「ライダーキック」で倒していった仮面ライダーのように、最後は伝家の宝刀である「ラストスパート」で、ライバル選手たちを次々と倒していったのです。

その姿に当時の私も含め、多くの国民が熱狂していたのは間違いありません。そして、そのヒーローたちを生み出し、育んできた世界の舞台こそが、福岡国際マラソン選手権大会でした。残念ながら今回で幕を下ろしますが、最終回に新しいヒーローの誕生を心より期待したいと思います。

昭和の仮面ライダーの最終回がそうだったように……。

11月を走る・4

【11月を走る・4】先週の土曜日から千葉県富津市富津公園において強化合宿を実施しました。今回の強化合宿は、金メダリストの道下選手、銅メダリストの堀越選手ともに参加し、ようやく全体の足並みも戻ってきました。また、両選手とも東京パラリンピック後は、トレーニング以外の忙しさも重なっていたので、「今回の強化合宿は怪我をしなければ良し」と考えていましたが、両選手ともしっかりと先頭を走っていました。「さすがはメダリスト」と、あらためて感心した次第です。

さて、話しは変わりますが、パリパラリンピックで実施される競技種目が発表されました。その結果、我々のブラインドマラソン(男女T12クラス)は東京パラリンピックと同様に実施されることが決定しました。まずはひと安心です。実は、パラリンピック実施種目は大会ごとに見直します(競技種目を減らすことが多い)。そのため、パラリンピックが終わるごとに、「我々のブラインドマラソンは、次大会も実施されるのか?」と心が休まりません。

ここで、ブラインドマラソンについての歴史を簡単に振り返ると、2004年アテネパラリンピックまでは、3クラス(T13、T12、T11)とも実施されていました。そのため、1996年アトランタパラリンピックと2004年アテネパラリンピックにおいては、T11クラスで金メダルを獲得しています。

つまり、2004年アテネパラリンピックまでは、ブラインドマラソンT11クラスは「日本のお家芸」と呼ばれるほどでした。ところが、2008年北京パラリンピックからブラインドマラソンの実施種目は「T12クラスに集約」されます。その結果、T13クラスの選手たちはパラリンピックのマラソンへの道が閉ざされ、T11クラスの選手は障がいの軽いT12クラスの選手と一緒に戦うことになったのです。

その2008年北京パラリンピックでは、日本ブラインドマラソン初の「メダル&入賞が0」と惨敗しました。しかし、そこから強化体制を立て直し、2012年ロンドンパラリンピックでは出場した男子3選手が全員入賞。続く、2016年リオパラリンピックでは、初採用された女子T12マラソンで銀メダル、男子が銅メダルを獲得するまでに復活しました。

そして、今回の東京パラリンピックにおいては、パラリンピック日本女子マラソン初の金メダル、男子は2大会連続の銅メダルと、目標どおりの結果を残すことができました。また、上記したようにパリパラリンピックでもブラインドマラソン(男女T12クラス)は実施されることが決定したので、引き続きたんたんと強化活動を継続していくことができます。あらためて、関係者の皆様に感謝です。

一方、今回の東京パラリンピックで金メダルを獲得した男子T52クラスの1500mや銅メダルを獲得した男子T46クラスのマラソンは、パリパラリンピックでは実施されないことも決定しました。ある意味、パラリンピックは厳しくて残酷な世界でもあるのです。

11月を走る・3

【11月を走る・3】先週の土曜日は、千葉県木更津市で中長距離記録会が実施されました。この記録会は昨年から開催されるようになりましたが、参加選手は地元の中高生が中心で、アットホーム的な雰囲気の記録会です。また、今年は風もほとんど無く、絶好のコンディションとなりました。

私は慣れない周回審判の大役を仰せ付かりながらでしたが、選手たちの走りをじっくりと拝見することができました。特に、中学生に注目していましたが、男子の先頭集団は相当速く、その洗礼されたランニングフォームに驚きました。

今の中学生を指導しているコーチの方々は、トレーニングに基礎的なドリルなどを多く取り入れているので、ランニングフォームが整っている選手が多く、見とれてしまう選手が多くいました。もちろん、そんな選手たちは記録も相当なものです。

一方、中学1年生でしょうか、男子1500mでも5分突破ができるか否かを争う組もありました。もちろん、身体も小さく、何もかもがこれからの選手たちですが、最後はあごが上がり、身体を大きく揺さぶりながら必死に走るその姿は、中学生時代に初めて1500mを走らされた自分自身の記憶と重なり、真剣に応援していました。

また、男子5000mと女子3000mには、富津合同練習会で切磋琢磨している仲間たちも多数出場し、慣れないトラックレースを熱走していました。そのトラックレースは、ロードレースと違い、スタートからゴールまでの細かいラップタイムや、その動きを観察することができます。

特に、今回のトラックレースでは、いつもと違う一面をいろいろと拝見することができました。また、今回の記録会に出場した仲間たちは、マラソンが最終目標なので、いわゆるスピード強化の一環となります。

「トラックレースとマラソンのどちらが苦しいか?」

既に何度もこのブログでも取り上げてきましたが、トラックレースの苦しさとマラソンの苦しさは違いますが、本当に苦しいと感じるのはトラックレースの方かもしれません。今回の記録会でマラソンとは違う苦しさや辛さを体験できたことは、間違いなく今シーズンのマラソンにつながることでしょう。

11月を走る・2

【11月を走る・2】7日の日曜日も全国で各種ロードレース大会が開催されていました。特に、全日本大学駅伝大会は大方の予想どおり、優勝候補にあげられていた駒澤大学と青山学院大学の争いとなりました。そして、2校の優勝争いは最終区間終盤までもつれ込み、僅差で駒澤大学が優勝しましたが、駅伝ファンとしては見応えのあるレースでした。

その駒澤大学は、今年の箱根駅伝は大差となっていた先頭との差を最終区間終盤で追いつき、ゴール前のスパートで優勝。一方、今大会は逆に駒澤大学を青山学院大学が最終区間で追いつき、終盤まで並走する展開となりましたが、最後は駒澤大学がもう一度突き放しての優勝。駒澤大学のアンカーに起用される選手は、メンタルが強いと感じます。

そして、どのチームにも言えることですが、駅伝のアンカーは区間順位ではなく、見た目の順位がそのままチームの最終順位になるので、ひとつでも前にいく必要があります。つまり、区間最下位でもトップでゴールすれば、チームは優勝です。しかし、区間賞を獲得しても最後に競り負ければ、チームの敗北に直結し、アンカーは責任を問われます。したがって、どんな駅伝でもアンカーを任された選手にかかる重圧は想像に難くありません。

私の昔話で恐縮ですが、現役時代に走ったある駅伝のことです。その駅伝は7区間で80k程度の距離でした。当時の監督はチームのエースをアンカーに配置し、「アンカーで60秒以内ならライバルチームを逆転できる」と、前日のミーティングで各区間の配置とそれぞれの設定タイムなどを我々に指示しました。

その駅伝で私は2区を走りましたが、序盤の遅れを挽回することはできず、悪い流れのままエースの待つアンカーにタスキが渡りました。その時点でライバルチームとの差は「65秒」。私は、自分の凡走は棚に上げ、ゴールで祈るように待っていました。そして、エースのアンカーはチームの思いを全て背負い、必死の形相でゴールを駆け抜けましたが、前を走るライバルチームには届きませんでした。しかし、ゴールでのタイム差は「5秒」……。

最終的な結果をみると、「各区間が、あと数秒ずつ速く走っていれば……」となります。これは箱根駅伝予選会などでも毎年耳にする話です。もちろん、机上の計算では確かにそうなります。しかし、どんなレースも生き物であり、状況は常に変わります。特に、駅伝はタスキをつなぎ、走者も変わるので、区間ごとにピンチとチャンスが訪れます。

ところが、アンカーには次走者がいません。つまり、アンカーを託された選手は、「個」ではなく「チーム」になります。まさに「アンカーの美学」とも言えるでしょう。駅伝ファンのひとりとして、特にアンカーの頑張りに注目し、応援したいと思います。

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